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今ほど素直な心の大事なときはない。どんなに力んでみても自分一人では生きられないし、また自然を離れて人間の知恵や力だけで生きられるものでもない。
 素直な心になれば、ここの道理がおのずからにして明らかになるのだが、それでもなお知恵ある人はその知恵のみを頼りに策をろうしようとし、力ある人はその力のままに道をゆがめようとする。そしてその疑惑にみちた顔からは、次第に心の暖かい光を失っていく。
 今ほど素直な心の大事なときはない。あなたがあっての私であり、私があってのあなたなのである。素直な心はそこの道理に眼をひらかせてくれるのだが、それでもなお人は、私だけがあればよいと思いがちで、だから知らず知らずの孤独のなかで、次第にほほえみを失っていく。
 真冬の陽だまりはなつかしい。寒さがきびしければきびしいほど、雲間から洩れる淡い陽光にも心なごむ思いがする。素直な心はまた、冬の陽光とも言えようか

出典:『続・道をひらく』

 

これは、月刊誌『PHP』の裏表紙の連載をまとめた『道をひらく』の続編『続・道をひらく』(昭和五十三年一月発刊、当時松下幸之助八十三歳)の一文です。
幸之助は、日本が第二次世界大戦で戦争に突入したあげく敗戦したのは、何より状況を正しく認識できなかったことに一因があるとみなしていました。自分の力や相手の力、現状を見誤ったのでは、負けるのは当然のことです。
このように物事を見誤って失敗するというのは戦争に限ったことではありません。政治や経営、人生等、たとえば適切な政策を立案、推進するためにも、仕事などの成果を上げるためにも、自分自身が幸福になるためにも、物事に対する正しい認識はどうしても欠かせません。それでは、どうして人は物事を見誤ってしまうのでしょうか。
幸之助は、その原因はお互いの心が私利私欲、感情、知識、先入観などにとらわれてしまうためではないかと考えました。心にとらわれやこだわりが生じると、物事をありのままに見ることができません。たとえるならそれは、ゆがんだレンズを通して物事を見るようなもので、それではまっすぐな棒も曲がって見えます。もとより折々の判断も間違いやすく、なすべきことを怠るなど、行動を過ることにもなりかねないでしょう。
そこで幸之助は、そうした私欲私心などにとらわれず、あるがままの実相をつかむことができる心を素直な心と呼び、みずからそうした心になりたいと生涯にわたって熱心に求めるとともに、広く人々に呼びかけたのです。
また幸之助は、次のようにも述べています。
「素直な心とは、私心なくくもりのない心というか、一つのことにとらわれずに物事をあるがままに見ようとする心なのです。そういう心からは物事の実相をつかむ力が生まれてきますし、それに基づいて、なすべきことをなし、なすべきでないことを排する勇気というものも湧いてきます。
素直な心の中には、愛というか、憎むべき相手をも愛するといった心、また誤りをただし、正しい方向に導くといった心、そういうものも含まれると思います。また、高い見識というものも、こういった素直な心によって養われるのです。一言でいえば、素直な心は、人間を正しく強く聡明にするものです。」
お互い、日々この素直な心で愉快に過ごしたいものです。

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