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英文修正 人生の後半を生きる

従来自分の体は頑健なほうではなく、したがって意識的にも健康体なりとの自信ももてず、人に向かって「どうもぼくは体が弱いほうで」というようなことをもらしたものであるが、近ごろこれは大きな間違いであると気がついた。なるほど人の体質にはそれぞれ強弱のあるのは事実であるが、まず自分自身で弱いのだと決めてしまう必要はない。昔から「健全なる精神は健康なる体に宿る」といわれているが、その逆に、健全なりという自信が健康体をつくる例もすこぶる多いのである。
だから、健康な人はいうに及ばず、常に自分は弱いと考えている人たちも、“自分の体は決して弱くない、相当に何でもやれるんだ”という自信を強くすることが大切であるとともに、人に向かって「自分は弱い」などとは、断じて口にすべきではないと痛感した。健康なりと強く自信をもつところ、少々虚弱であった体も必ず丈夫になっていくにちがいないと、このごろ常に感じている。

出典:「健康なりという自信(昭和十四年二月二十一日)」『松下幸之助発言集29』

 

これは、毎朝行なわれている松下電器(現パナソニック)の朝会で、松下幸之助が昭和十四年二月二十一日に語ったものです。
幸之助は生来、どちらかといえばいわゆる蒲柳の質といわれるような虚弱な体質で、しょっちゅう風邪をひくなど、伏せがちなほうでした。
兄や姉を早くに次々と亡くしたせいもあって、成人するころには自分も長くは生きられないのではないかとみずからの健康に不安を覚えるようになっています。実際二十歳のころ、海水浴の帰りの電車の中で血痰を吐き、肺尖カタルを患っていることが明らかになります。もとより養生しようにも当時は大阪電灯(現・関西電力)で日給制の職人として勤めており、休めばすぐにも蓄えが底をつき、食べるにも事欠く事態になりかねませんでした。いたし方なく幸之助は働きながら養生することを決意するのですが、三日働いては一日休み、一週間出勤しては二日休むというような生活をせざるをえなくなります。こうした生活は独立起業後も変わることがなく、娘の松下幸子氏によれば、幼いころの記憶には、ほとんど寝床で伏している父親の姿しかないそうです。それだけに、たえずみずから健康に留意するとともに、従業員に対しても「健康管理も仕事のうち」と繰り返し注意を促していました。
また、社員のだれそれが病気で入院したと聞くとお見舞いに駆けつけ、お見舞いの品とともにひと言ふた言励ましの言葉をおくっていたようです。これは、幸之助の社員に対する思いやり、優しさから出たというだけでなく、みずからが病弱で、病のつらさを人一倍身にしみていたからでしょう。
そうした幸之助がどうして九十四歳という天寿をまっとうできたのでしょうか。それは、常日ごろから自身の健康に十分に気をつけていただけでなく、ここにご紹介した言葉にあるように、自分は健康であるという強い気持ちを持ち続けたことが、大きな要因の一つと考えられます。またあるところで幸之助は、「病から逃げてはいけない。病を恐れて遠ざけていれば、病はあとから追いかけてくる。反対に病を味わい、病と仲よくすれば、しまいには病の方から卒業証書をくれるものだ」と人にも自分にも言い聞かせてきたことが、九十歳まで生きることができた要因だと述べています。昔から「病は気から」といいますが、何より気持ちで負けないことが大切だということでしょう。

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