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英文修正 人生の後半を生きる

一般に学校を出て社会に出ると勉強する心を失ってしまう人が多いようだが、しかしそういう人はやはり後で伸びる人ではない。たとえ学校では目立たない存在であっても、社会に出てからコツコツと地道になすべきことをなし、学ぶべきことを学んでいる人は、後でぐっと伸びる人である。
こういうことは、人の一生を通じても言えることであろう。生涯そのようにみずから新しいものを吸収し、勉強するという態度、よろこんで人びとの教えを受けていくという態度、そういう態度を持ちつづけることが大切だとぼくは思う。
そのような態度を持ちつづける人には、進歩があって停滞はない。一歩一歩、年を経るにつれ着実に伸びていく。一年たてば一年の実力が養われ、二年たてば二年の実力が養われる。さらに十年、二十年、三十年とたてば、それぞれの年限にふさわしい力が養われる。そういう人がほんとうの大器晩成というのだと思う。

出典:「真々庵せけんばなし」『松風(社内誌)』(昭和四十一年五月号)

 

これは、七十一歳の松下幸之助が、松下電器(現パナソニック)の社内広報誌『松風』の昭和四十一年五月号に、「大器晩成ということ」という題で寄せた一文です。
人間は、生まれたときはまったく無力で、みずからの力で食料を得ることや身を護ることはもとより、自分の足で立つことさえできません。哺乳類の仲間の中でも、これほどまでに弱々しく生れ落ちる命はないでしょう。ところが人間は、その生まれた瞬間から、急激に成長していきます。たとえば乳児の際は、声の出し方、体の動かし方など、実地で試しながら学び、身につけていきます。幼児ともなれば、歩いたり走ったりといった複雑な体の動かし方、いろいろな道具の使い方などを、さらに児童期から青年期には学校の教育を通じて、きわめて高度な知識や技術までも学び、ついには一人前の人間として社会へと巣立っていきます。まさに学びを通じて人間は生きる力を身につけ、成長し、人類の一層の進歩発展に寄与できるまでになるのです。
ところが概して人は、そのように一通り学校教育を受け終えると、なぜか学ぶということを疎かにしがちです。幸之助が指摘しているとおり、勉強は学校を卒業すれば終わりというわけではありません。実際は、卒業した後に学ぶことのほうがより複雑、微妙で多いと考えられます。幸之助は九歳のときに小学校を中退しています。もちろん今はやりのMBAなど取得していません。つまり、社会人や商売人に必要な事柄のほとんどを、学校ではなく実社会で学んでいるわけです。そしてそれが成功の基になっている。これは、学校教育以外で学ぶことのほうがいかに多く、また重要かの一つの証明ではないでしょうか。
「学ぶ心さえあれば、万物すべてこれわが師である。語らぬ木石、雲、無心の幼児、先輩のきびしい叱責、つまりはこの広い宇宙、この人間の長い歴史。どんなに小さいことにでも、どんなに古いことにでも、宇宙の摂理、自然の理法が脈づき、人間の尊い知恵と体験がにじんでいる。そうであれば、それらすべてに学びたい。謙虚に素直に学びたい。すべてに学ぶ心があって、はじめて新しい知恵、よい知恵が生まれてくる。学ぶ心が繁栄への第一歩なのである」と幸之助は言います。
お互いの繁栄、幸福のために、終生、謙虚に学ぶ姿勢を保ち、成長し続けたいものです。

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