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英文修正 人生の後半を生きる

 私の挨拶だが、いつもなら、商売の話を、一時間から二時間にわたってお話するのだが、こんどはご婦人も多いことだし、固苦しいことはなるべく避け、平常の考えを二、三述べて、日頃お引立のお礼とお願いを申しあげるに止めた。
 終って、興を添えるために、姉妹会社であるビクターから三人の歌手が来て歌った。歌謡曲が若い人々の間で愛好されるのは知っているものの、なぜそんなに愛好されるのかその理由がよくわからなかったが、三人の歌をじっと聞いているうちに、若い人たちの気持が次第にわかってくるような気がした。殊に最後に歌った宮城まり子さんは、ゼスチュアたっぷりで、鮮やかなその歌いぶりに、私も知らず知らず心が軽くなり、何だか大変若がえったような気がした。私は自分ではそんなに老人だとは思っていないが、若い人から見ればやはり老人だろうし、従ってつきあいにくいところも多少はあるかも知れない。やはりたまにはこういう歌手にも接し、その歌を聞いて大いに若がえり、もっと若い人たちに好かれるようにしなければという気がした。

出典:「光雲荘雑記」『松風(社内誌)』(昭和二十九年十一・十二月号)

 

 

松下電器(現パナソニック)の社内誌の一つに「松風」があります。その編集部から「身近な日常の身辺雑記を」との依頼に応え、約八年にわたって連載されたのが「光雲荘雑記」でした。そしてその一つに「若い歌」と題して掲載されたのがこの一文です。松下幸之助六十七歳、すでに社長を退き会長の職にありました。
関東地区のナショナルタイヤ売出し招待会が、熱海に七百人のお得意先を集めて開催されたときのことで、幸之助自身、熱海の賑わいに驚いたと記し、その折の挨拶に触れつつ率直に感じたことを述べています。
そもそもラジオとかテレビを扱う商売をしている幸之助にとって、音楽関係の放送を目にしたり耳にしたりする機会は多かったはずです。また当時は、音楽が情操教育にも役立つということが言われはじめたころで、学校でも音楽教育には相当に力を入れるようになっていました。とはいえ、明治生まれの幸之助にしてみると、若者の間で流行している歌謡曲についてはいまひとつ何がいいのかわからなかったようです。
こうしたことは、決して幸之助に限ったことではありません。今日でも、年配の人々にしてみれば、若者の間で流行っている音楽のどこがいいのかよくわからないという場合が少なくないでしょう。また音楽に限らず、映画や小説、芸術、ファッション、大きくは文化などについても、どうしてこういうものが流行るのかと首を傾げてしまうこともしばしばあるのではないでしょうか。
しかし自分たちの若いころのことを振り返れば、それも自然なことだとわかります。年配の方々にとって、ロックは不良の聴く音楽だと非難され、少々露出が多い程度で風紀を乱すファションと否定され、漫画ばかり読んでいるとダメな人間になるといわれたことが懐かしく思い出されるはずです。そして決して当時の音楽、ファション、文化がよくないものだったわけではないと、はっきりいえるに違いありません。つまり、若者たちの文化にも、必ず素晴しいところがある。ただ、それを見も聴きもしないで拒否しているのは往々にして年配者というわけです。
幸之助は、「そこに最も気楽な憩の場を求めているのだとしたらそれもまた結構なことだと思う」として一概には否定していません。むしろ積極的に若者文化に入り込み、大いに楽しむぐらいの気持が大切なのではないかというのです。

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