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英文修正 人生の後半を生きる

経営とはもともと、「ある目標をたて、これを達成するために、規模を定め基礎を固めて、物事をおさめ営んでいくこと」という意味で、この定義に従えば、人間が計画をたてて行なう活動なり営みは、すべて経営ということになるでしょう。
 ですから、大きく考えれば国の運営も一つの経営であり、また個々の人びとの人生の営みも一つの経営といえるわけです。
 そして問題は、それらの「経営」が果たしてほんとうに経営となっているのかということです。たとえば人生の経営にしても、人生に何の目標ももたないということでは、日々何がなしに過ごすということにもなりかねません。それではその人自身の進歩も向上もみられないばかりか、いわゆる生きがいも感じられないでしょう。
 やはり人生に確固たる目標をもって、それを実現するためにいろいろな努力をつみ重ねてゆくところにこそ、真の人生経営というものがあり、そういう姿からよき人生、また好ましい成果も得られるのではないかと思うのです。

出典:『政治を見直そう』

 

 

私たちは、経営というと会社の運営に限って考えがちですが、松下幸之助は、広く国や家庭の運営、人生のあり方など、あらゆるものを経営と見ていました。そしてみずからの経営に関する考え方を、それらすべての進め方にあてはめ、人々によりよい経営を行うよう訴え続けました。
たとえば次のようなエピソードがあります。ある社員がちょっとした雑談の中で、「家庭って、なかなかむつかしいものですね」と言ったところ、幸之助はその社員の顔を心配げに見つめて、「君のとこ、うまくいっとらんのか」と聞き返してきました。真剣な幸之助の表情に社員は慌てて、「いや、うまくいっております。でもときには自分の思いどおりにいかないなと感じる場合もやはりあるということで……」と答えました。「君、奥さんおるんか?」「はい」「お子さんは?」「はい、おります」「じゃあ君は、一家の主人やな」「はい、そうです」「主人といえば、家庭の経営者やな。経営者なら、夢を語り、方針を示さないかんと思うんやが、君は奥さんやお子さんに、〝五年後のまる◯◯家、十年後の◯◯家をこうしよう〟ということをちゃんと言うて、協力を求めているんやろうな」。忙しさにかまけて、家長としての責任とか役割というものをそれほど真剣には考えていなかった社員は、とにかくその場は、「いや、できておりません。任せっぱなしにしないで、もっと経営意識を持って家庭を治めなければいかんということですね……」と答えるのが精一杯でした。まさに家長は家庭の経営者というわけです。
また、幸之助は事業経営には「この経営を何のために行うか、そしてそれをいかに行なっていくのか」という基本の考え方、つまり経営理念が必要だと説いていますが、この点については家庭においても人生においても同じだといいます。つまり、人生であれば、“この人生を何のために生きるのか、そしてそれをどう生きていくのか”という人生の経営理念がなくてはならないというのです。
さらに幸之助は、あらかじめ水を蓄えておき、必要に応じ供給するダムのように、事業経営にも人や設備、資金などにある程度余裕を持っておくべきだとし、それをダム経営と名づけていました。他の経営もそれと同様で、常に余裕、ダムが必要だと述べています。
掲載したことばは昭和五十二年(幸之助八十二歳)に発刊された『政治を見直そう』の一文ですが、よりよい人生を送るための一つのヒントではないでしょうか。

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