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英文修正 人生の後半を生きる

われわれお互いが、みずから進んで常識をゆたかにしてゆくとか、あるいは仕事の力をさらに高めてゆくということは、もちろん自分自身のためになることではあるけれども、それは同時に、社会に対する一つの義務でもある。
たとえば、われわれの社会で、すべての人びとが一段ずつ進歩したとするならば、社会全体もそれによって一段向上することになる。ところが他の人がみな三段進歩したのに自分は一段も進歩していないということになれば、そのことによって、社会全体の平均の段数は三段あがらないことになる。つまり、自分ひとりのために全体の水準の向上が犠牲になるわけだ。
だから自分の教養を高めるとか、自分の技術を向上させるとか、あるいは健康なからだをつくるということは、自分を幸せにし、また自分の社会的地位を高めるということなどのためばかりでなく、社会の一員としての共通の義務だと考えなければならない。

出典:『その心意気やよし』

 

 

これは昭和四十六年八月に発刊された『その心意気やよし』の一文です。松下幸之助は七十六歳。なお意気盛んで、みずからの成長、向上を求め、努力を重ねつづけていました。
仕事を遂行する能力のみならず、社会人としてまた人間としての成長を図っていくことは、自分の暮らしをより豊かにするとともに幸せを招き寄せる何よりの力となります。そのため、熱心な人は貪欲に自分の仕事に必要な資格の取得や英会話力などの向上に多くの投資を行い、また優れた人の教えを受け止めるためには時間と労力を惜しみません。ときには修養の一環として座禅に取り組んだりする人も少なくようです。実際、自己啓発をテーマにした書籍や雑誌が書店にはたくさん並んでいます。
しかし考えてみるなら、そうした努力によって得られた一人の成長は、必ずしもその人だけの豊かさや幸せにとどまるものではありません。一人の人が成長すれば、しばしばその働きは周囲にもよい影響を与えることになります。昔から、「一人出家すれば九族天に生まる」という言葉がありますが、幸之助も同様の趣旨で次のように述べています。
「一人の目覚めというものは、十人に及び、百人に及び、さらに千人に及び、さらに一社に及び、さらに社会、国家に及んで、国民全体に真に貢献することに結びついてくるものだ、ということを常にお考え願いたいと思うのであります」
つまり、自分一人の学びであり向上、成長にすぎないかのように見えても、実際には家族や同僚、友人、ひいては会社、社会、さらには国家のためにもなると幸之助はいうのです。
そうであれば、少々難しいからといって、学ぶことを諦めたり、苦労するのが嫌だということで自分自身を高めることを疎かにすることは許されないでしょう。見方を変えるなら、みずからを高め成長させることは社会に対する義務、責任というわけです。
このことは、もちろん年を経たから関係がないというものではないでしょう。性別、職業、世代にかかわらず、わが国のすベての人がそれぞれに、自己の職能なり教養や健康等を高めていくことが求められているのです。
ともすれば忘れがちな社会人としての義務ということについて、ときにお互いじっくり考えてみたいものです。

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