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英文修正 人生の後半を生きる

ぼくは人間であれば、その内容はそれぞれ異なるとは思いますが、その気にさえなれば、その人なりの生きがいはもてるはずだと思うのです。そして、そのために大事なことは、どれだけ真剣にそれを求めつづけるかということでしょうね。つねに何ものかを求めつづけていく、そういう姿勢が大切だと思うのです。そうすれば、必ず転機がくる。つまり、いままで生きがいをもてないと思っていた人でも、ほんの少しのキッカケからでも、新しい自分の生きがいを見つけ出すことができる。生きがいとは、そういうものではないでしょうか。それはまた、他人から与えられるものではなく、自らの手で見つけ出し、つかみとるというものでしょうね。
そう考えれば、いまからでも遅くはない。あなたなりの生きがいを見つけ出す努力をはじめてはどうでしょうか。そういうつねに何ものかを求めつづける姿から、希望に輝く、たしかな人生が生まれてくると思うのですがね。

出典:「新春提談」『PHP』(昭和五十二年一月号)

これは、八十二歳になった松下幸之助が、昭和五十二年一月号の『PHP』誌に寄せた一文です。
「そんなものがなくても生きていくことはできる」という人も中にはいるかもしれません。しかし、やはり幸福な人生をおくるには、生きがいを持つことがきわめて大切です。それがなくては、日々の暮らしに張り合いが感じられず、人生の貴重な一日一日を、ぼんやり過ごすことになりかねません。もとよりそれでは、これといった喜びや満足感を味わうことはできないでしょうし、ましてそうした毎日が続けば、人によっては「自分は何のために生きているのか。」と憂うつな思いに襲われたり、「生きることは無意味だ。」などと厭世的に考えるようにもなってしまいます。これではせっかくの人生が台無しです。
また、もしそうした人が数多くなれば、社会全体としても好ましいことではありません。何となく仕事をし、暮らしている。事に当たって成功しても失敗しても特に感慨はなく、社会が豊かになろうが貧しくなろうが関心がない。これでは社会から活気が失われ、進歩発展どころか退歩衰亡の道を歩むことになってしまいます。
それではどうすればお互いに生きがいを持って生きることができるのでしょうか。
幸之助は、人にはそれぞれ天から与えられた資質、個性、つまり天分というものがあると考えていました。例えば、ある人には洋服屋さんとしての天分があり、別の人には料理人としての天分があり、また別の人には政治家としての天分があるというように、人それぞれに異なった天分があると説いたのです。その上で幸之助は、生きがいとはその天分を存分に発揮して社会に貢献していくことにあるのではないかと訴えました。言い換えれば、天分に沿った生き方をしてこそ社会は発展し、達成感を味わうことができ、ついには喜びとともに生きがいが得られるというわけです。
こうした考え方に立てば、当然みずからの天分をしっかりとつかむことが強く求められます。またその際、みずから熱心に求めるだけでなく、第三者からの客観的、冷静な指摘、助言に謙虚に耳を傾けることも必要になるでしょう。
何歳になろうとも、謙虚な心、素直な心を失わず、みずからの天分、生きがいを求め、さらにしっかりとつかみつつ、この一刻一瞬を喜びを持っておくりたいものです。

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