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英文修正 人生の後半を生きる

国民の老後の最低生活を保障するにしても、それは人々の人情の機微というものをよくとらえた周到な心配り、配慮のもとに行われなければならない。
たとえば老後の生活を保障するからといって、ただ単に一応の生活ができるお金を支給すればよいかというと、決してそれだけでは十分ではない。というのは、「あなたはもう老人になったから、このお金で遊んで暮らしてください」ということになったとしても、その人が健康でまだ働けるのであれば、毎日遊んでいることに、かえって空虚な感じを抱くことにもなりかねないからだ。
だから、まだ働きたいという人には、高齢者に適した仕事につく機会をも保障しなければならない。そしてそこに働く喜びを感じてもらうというか、日々を過ごしていくための心の張りというものを得てもらうようにしなければならない。それが人情に即したほんとうの意味での社会保障といえるのではないだろうか。

出典:「人情と国情に即した社会保障を」『PHP』(昭和四十三年八月号)

 

 

 

不幸にして心身に障害があったり、どんなに懸命に働いても食べていくことができなかったり、あるいは年老いて思うように動けないような人びとに対し、国が健康で文化的な生活を保障し、毎日を無事に過ごせるように配慮することは、人間の互助精神からいって当然のことでしょう。もとより社会福祉は大切です。
とはいえ、まだまだ元気に働くことができる人に対してまで、何かと保障するのは、ほんとうにその人のためになるのかどうか。たとえば昭和六十四年ごろの流行語に「濡れ落ち葉」があります。これは、仕事や趣味、遊ぶ友人もなく、妻に頼りきって後ろからついて回る定年退職後の夫の姿を、濡れた落ち葉が地面に張り付いてなかなか取れないさまに見立てたものです。退職金も年金もあって悠々自適の生活のはずが濡れ落ち葉と呼ばれるのは、いささか悲哀を感じざるを得ません。なるほど妻の立場からすれば、いつも家でごろごろしていて、何かと後ろから付いて回る夫は、煩わしく感じるでしょう。「亭主元気で留守がいい」ということになるのも当然かもしれません。しかし夫の立場からすれば、ことさらすることはなく、さらにそうした状況が続くほどに、何かをしようという意欲も徐々に失い、ぼんやりと毎日を送るしかない。情けないとは思うが仕方がないじゃないかというところでしょうか。
一見すれば、国の支援によって十分暮らしていける高福祉社会はなるほどすばらしいかもしれません。そこで暮らす高齢者は、悠々自適な生活ができるのですから、うらやましくも思えます。しかしそれは、人や社会の役に立つことで自分の存在感、生きがいを感じ、苦難を乗り越えることで達成感や充実感を得たりする人情の一面からすると、かえって生きる張り合いを奪うことになりかねません。また、ぼんやり濡れ落ち葉に甘んじて生きるのは、せっかくの天与の命を無駄遣いするようなもの。
そこで松下幸之助は、「社会福祉がいかに大事だからといって、すべての国民に〝ゆりかごから墓場まで〟というような、至れりつくせりの保障をしてはならない。あくまでも〝健康体にして働かざるものは食うべからず〟というような原則に立たなければならない」と訴えています。
幸之助七十三歳、月刊誌『PHP』昭和四十三年八月号に掲載された一文ですが、社会福祉をテーマとしつつも、ここにはよりよい生き方のヒントも示されているのではないでしょうか。

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