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英文修正 人生の後半を生きる

 

先日、松永安左衛門翁(ⅰ)が真々庵(ⅱ)に来られた。松永さんは、わが国電力界の大立物で、現在八十七才の高令でありながらまだかくしゃくとして活躍を続けておられる方である。庭を散歩したり食事をともにしたりして親しく接しているうちに、あらためて感銘をふかくしたことは、松永さんの〝若さ〟である。
 なるほど顔にはしわが多く、その物腰も八十七才のおじいさんという感じは否めない。しかし話されることばなり、立居ふるまい、お人柄に接していると、なかなかどうして大したもので、全く生き生きしたモダン老人なのである。真々庵のお茶室でのひとときも、大声で笑い、おもしろい冗談をとばし、また写真をうつすときにはちゃんとポーズをとられる。といったように絶えずモダンで意気軒昂たる姿を失われない。ぼくは、このように一刻一刻をたのしみ、さらには自分の人生を愛して、積極的に生活されている松永さんの若さに、実は圧倒された次第である。

ⅰ 「電力王」「電力の鬼」と呼ばれた実業家。日本の電力会社の礎を築いた。
ⅱ 京都・東山にある松下幸之助の別邸。現在、パナソニックグループの迎賓館。

出典:「真々庵せけんばなし」『松風(社内誌)』(昭和三十八年一月号)

 

これは、松下電器(現パナソニック)の社内誌『松風』の昭和三十八年一月号に掲載された一文です。
当時、松下幸之助はすでに六十八歳、決して若くはありません。肉体の衰えとともに老いを覚え、これではいけないと感じていたときでした。そうした折に、ご高齢にもかかわらず、若々しく万年青年の意気にあふれた松永氏に出会ったのです。幸之助は、深い感銘を受けるとともに大いに励まされました。
年齢を重ね、体験を積むに従い、おのずと目新しいことは少なくなっていきます。興味をそそるものは減り、心弾ませることや楽しいことも滅多になくなってしまいます。たとえば、どれほど有名な景勝地といっても、何度も足を運んでいれば、誰しも徐々に感動が薄れていくのを感じることでしょう。またどんなに美味しい料理でも、毎日毎日食べていたのでは、飽きがくるのはごく自然なことです。人によって差はあるものの、そもそも人間に備わった欲望自体、年齢に応じて弱まっていくようで、「あれがほしい」「ぜひこうしてみたい」ということもそうそう思いつかなくなるとのことです。
しかし、歳だからと諦めてしまっては、せっかくの人生がただ退屈でつまらないものになりかねません。それではどうすればよいのでしょうか。大切なことは、物事に対する好奇心を失わないことです。あるとき、何事にも常に好奇心をもって取り組まれるご高齢の方から、パソコンの使い方を覚えたい、デジタルカメラを使えるようになりたいと相談を受けました。若い人でもパソコンは面倒だと敬遠しがちだった時代に、その方は熱心に何度も質問され、懸命に使い方をノートにとるなどして、ついには写真を使った動画(スライドショー)を作成できるまでになったのです。お孫さんのスライドショー、戦時中の同窓生のスライドショーなど、ご自身の作品を収録したDVDを笑顔で見せていただくたびに、人間、好奇心を失ってはならない、かくあるべしと強く感じさせられました。
もちろん、こうしたことは好奇心に限りません。何かを成し遂げようという意欲、チャレンジ精神も欠かせないでしょう。お互い、最後の一瞬まで楽しく、生きがいを味わいながら日々が過ごせるよう、心から自分の人生を愛しつつ、たえず新たなことに関心を持ち、また挑戦し、いつまでも若々しさを保ちたいものです。

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