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英文修正 人生の後半を生きる

 私は、人間というものは、それぞれにその人だけにしかない特性というか持ち味をもっていると思います。そしてその特性が最大限に発揮できるときに、大きな幸せを感ずる。それは子どもの時代においても年をとってからも、変らないことではないでしょうか。ですから、命を失うその時まで、精いっぱい自分を生かしていけるような生き方こそ、理想的な生き方だと思います。老後とか余生とかいったことばは使わずに、いわば〝終生現役〟というような心意気でみずからの人生に処していくことが望ましく、そのような個々人の姿勢、態度こそが、高齢化社会に適正に対処していくための基本ではないかと思うのです。
 高齢者というのは、単に年をとっているというだけではなく、人生についても仕事についても相当の経験を積んだ熟練者です。その人たちがいかに生きるか、そのことに当を得るならば、その人たちの幸せも高まり、社会全体としてもプラスになっていくと思います。

出典:「二十一世紀の日本への提言」『Voice』(昭和60年1月号)

 

 

これは、月刊誌『Voice』誌上に、昭和59年1月号から二年間にわたって「21世紀の日本への提言」と題して連載されたものの一文です。ここで取り上げたのは昭和60年1月号に「“人生百年時代の日本”の選択」というテーマで掲載されたもので、当時松下幸之助は88歳でした。
定年を迎えれば、それまでの仕事からはたしかに卒業です。永年にわたって熾烈な仕事に身も心も投じてきたことを考えれば、あとはゴルフや盆栽、かねてやってみたかった趣味などでもしながら、のんびり暮らしたいと考える人は少なくないでしょう。実際、多くの人がそうした行き方を望んでいるようです。
しかし、それでほんとうに人生は充実したものになるのでしょうか。耳にしたところによれば、定年したばかりのころはたしかにのんびりと過ごし、趣味になりそうなことをかじってみたりするそうです。ところがある程度時間が経過すると、ゆっくり、のんびりということに飽きてきて、何かもう一度仕事をしてみたいと考えるようになる人が割合多いとのこと。なるほど、日ごろ忙しく休む間もないからこそ、ゆっくり、のんびりすることに喜びや楽しみを感じるものなのでしょう。取り立てて何もすることがなく時間をもてあましている人にとっては、ゆっくり、のんびりというのは、むしろ退屈なばかりで、面白くもうれしくもないのかもしれません。
幸之助は、人間はそれぞれに与えられた天与の資質を存分に発揮して生きてこそ、生きがいや喜び、満足感、幸福感が味わえると考えていました。そうした考え方からすると、ただのんびりと暮らしているというのは所在なく、虚しいばかりの毎日、ということにもなりかねません。さらにいえば、せっかく与えられた天与の特性や能力、あるいは才能などを、無駄にしているともいえます。
定年は永年勤めた仕事からの引退であって、人生からの引退ではありません。とすれば、それまでの仕事に関連があるなしにかぎらず、何かまったくほかの事柄でもいい。自分に与えられた資質を存分に生かせるような、新たなことにいま一度チャレンジしてみるのも、意義があるといえましょう。人生において定年は一つの通過点。自分を生かすという観点からすれば、私たちは終生現役なのです。
お互い、終生現役の心意気をもって、全力で日々を送り続けていきたいものです。

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