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幸之助トピ(人生後半)

 天与の幸せというものは、全部かたちが違っていると思うんであります。皆さんのお顔が違っているごとく、天から与えられたお互いの幸せはみな違うんであります。お互いの顔が違うごとく心も違っておりますが、人間としての喜びをお互いに感じることは、十分できるはずであります。それと同じように、天から授かった、神から授かった幸せもみな違うんであります。けれども、その幸せは決して不平等ではないと思うんであります。人々によってそのかたち、姿は違い、あり方は違っても、それはそれでいいのだと思うんです。それはそれで神の道にかなっていると思うんであります。
 万物ことごとく違ってますね。この世に存在する億万という生物、また生物以外の自然物も、みんな神から与えられた一つの姿、生き方、かたちというものがあると思うんです。その与えられた道に従っていくところに、そのものの生きる姿、喜びがあると思うんです。

出典:「金光教覚醒会講演会」(昭和三十七年九月七日)『松下幸之助発言集8』

 

2011年の統計によると、世界人口は六十九億七千四百万人で、毎年約八千万人ずつ増えつづけているそうです。これはたいへんな数です。ところが、それだけいても、おそらく同じ人は一人もいないでしょう。もちろん似た人はいます。たとえば双子などはほとんど見た目では見分けがつかないこともあります。とはいえ、よくよく話を聴けば趣味志向が違ったり、性格が異なっていたりと、何もかもが同じというわけではありません。つまり、どれほど多くの人がいたとしても、一人ひとりみな何かしら違うのです。
松下幸之助は、その違いを単なる見た目や育ちの違いとはしませんでした。つまりすべての人それぞれに、天与の異なった特質や能力、才能ともいうべきものが与えられていると主張したのです。たとえば、ある人には絵の才能、他の人には経営の資質、また別の人には大工としての能力というように、百人百様の特質が与えられているというわけです。そしてそうした特質、能力を見出し、生かしていくところに、それぞれの人の幸せがあり、社会のさらなる繁栄があるとしました。
このような考え方に立つならば、万人が万人ともところを得て幸せに生きることができるようになります。たとえば、仮に大臣になることが幸せだとすると、どんなに努力してもみんなが大臣にはなれません。どうしても幸せになれない人がでてきます。あるいはもし社長になることが幸福だとしたら、資質として社長に適さない人はみな不幸ということになってしまいます。しかし幸之助の考え方ではそうはなりません。皆がみんな、それぞれに幸せになることができるのです。幸之助は著書の中で、「人間にはそれぞれその人だけに与えられた天与の特質がある。その特質を最大限に発揮できるとき、充実感や喜びを感じることができ、それが『人間としての成功』ではないか。」と訴えています。
また「みな別々にその幸せは与えられている。その与えられた幸せを素直に悟るところに、ほんとうに神の教え、神の道が生きてきて、それぞれの立場において十分に人生を楽しむことができるようになっているのが、世の定めではないか。」とも幸之助はいっています。
今回取り上げた言葉は、幸之助六十七歳、昭和三十七年九月に行われた金光教覚醒会講演会での話の一節です。万物万人の幸福を心から願う幸之助の思いが、伝わってきます。

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