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英文修正 人生の後半を生きる

 

 世間では親友、親友というけれども、そういう友をどう選ぶとかなんとかいうことが教訓によく残ってますわな、いままでのいろんな本を読むとね。教えの中にも「友を選ばんといかん」と。
 たしかにその通りだと思いますが、ぼくはそういうふうに友を選ばないかんというほど意識して友を選んだことないですな。一切自然の状態ですな。だからことさらにこうしなければいかん、ああしなければいかん、というようなことにとらわれなかったですな。
 また、いってみれば不即不離ということでしょうか。たとえば、私は一人の人に執着して、ということは、まずないですね。非常に多くの人を対象にして、ものを考えるというわけですな、いつも。そういうところに短所と長所というものもあるかもしれませんな。
 だから、どんな友を選んだほうがいいというてね、いろいろ忠告を受けたりしてやる人もありますわな。しかし、もうそのこと自体がとらわれているんじゃないでしょうか。不自然やないか、という感じがしますね。

出典:『現代』6月号の取材(昭和45年4月11日)

 
私たちの人生を豊かにする上で、友人の存在は欠かせないものの一つです。幼いころや青春時代にはもちろんのこと、青年期、壮年期、そして晩年においてもやはり友人は大切です。それでは、そうした友人はどうすればできるのでしょうか。
江崎グリコ株式会社の創業者・江崎利一氏について、松下幸之助はその著書で「事業経営の尊敬する先輩」「何かにつけて非常によく気のあう親友」と紹介しています。
二人のつきあいは、幸之助が三十八か九、江崎氏が五十歳ぐらいの昭和八年ごろに始まりました。たまたまある新聞社の招待旅行で熱海に行った折、二人は偶然にも相部屋となります。いろいろ話すうちに、業種は異なっても事業に対する信念や考え方に相通ずるものが多いことなどから、歳の差を超えて意気投合。そして、これからも会って話を交わしたいと、「文なし会」(一文なしから事業を始めたとの意味で命名)という会合を定期的にもつことにし、親交を深めるようになるのです。この「文なし会」には、後にサントリーの創業者・鳥井信治郎氏をはじめとする四名が加わります。それこそ恥も外聞もなく実情をさらけ出して語りあえる会合で、毎月とても楽しみにしていたと幸之助は述べています。 〝この人と友人になれば鼻が高い〟〝この人との人脈は大いに役立つはず〟〝この人とつきあえば自分が成長できる〟など、自分の意志や思惑で友人を選べばよいという考え方もあるでしょう。しかし、そこにほんとうの友情が芽生えるものでしょうか。本来、思いもかけずウマがあう、なぜか惹かれるなど、自分の意志や思惑を超えたところから友人関係は始まるはずです。
幸之助は江崎氏に限らず数多くの友人をもっていました。それは、何ものにもとらわれず、こだわらず、人との縁を大事にしたことや、常に友人らに深い親愛の情をもって接していたからに違いありません。
江崎氏のご子息が三十九歳という若さで亡くなったときのことです。跡継ぎとして大いに期待をしていた矢先のことで、江崎氏の落胆は大変なものでした。一時は事業から身を引こうとさえ思われたようで、幸之助も相談を受けた際、精いっぱい励ましたりしています。イギリスの劇作家シェイクスピアは、「人々は悲しみを分かち合ってくれる友だちさえいれば、悲しみを和らげられる」といっていますが、幸之助の励ましは少なからず力になったのではないでしょうか。
よき友人がいるかどうかで、人生は大いに変わってきます。お互い心に壁をつくらず、とらわれず、友人の輪を広げていきたいものです。

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