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英文修正 人生の後半を生きる

たとえば同じ50歳の人でも、歳のわりに非常に若々しく見える人もあれば、逆にどことなくふけて見える人もある。まさにさまざまとりどりといってもよいでしょうな。なぜ、その違いが出てくるかということですが、ぼくはその場合、やはり各人それぞれの生まれついた素質というか、いわば天性のようなものが一つ考えられると思いますね。
しかし、だからといってこの天性は、絶対に変えることができないかというと、決してそうではないと思うのです。その人の心がけしだいによっては、どのようにも変えることができる、ぼくはそう考えるのですよ。
だからもし、もっと自分は青年のように若々しい気分でありたい、ということを考えるのならば、それなりの心がけをもって努力をつづけてみる。たとえば本を読むにしても、自然に心が弾むようなものを読む。また人と接する場合でも、いつも若々しい雰囲気をもっている人たちに、つとめて接する。そうすれば、必ずいつかは、心の面でも、あるいは肉体面でも、多少なりとも若々しくなっていくものだと思うのですね。

出典:「提談・新しい日本のため 心の若さを保つには」『PHP』(昭和53年4月号)

 

顔かたちが一人ひとりみな異なるように、天性の素質というものも人それぞれだといえましょう。背の高い人がいれば低い人もいる。スポーツが得意な人がいれば苦手な人もいる。好むと好まざるとに関わらず、素質はみな違うわけです。それと同じように心身の若さにおいても、天性の素質というものが関わっていて、放っておいても何となく若々しく見える人がいる一方で、実際の年齢よりふけて見える人もいる。これは、お互いの身近でよく見受けられることでしょう。
それでは、この若さというものは私たちにはどうしようもできないものなのでしょうか。松下幸之助は、必ずしもそうではないといいます。たしかに人間の性格や気質などは、生まれもっての天性のものであり、なかなか変わることはありません。しかし、変わりにくいとはいえ、まったく変えられないわけでもない。心がけや状況によっては変えることができます。
〝人が変ったようだ〟という表現がありますが、それは人の性格や気質が変わりうることを示しているのではないでしょうか。実際、もともと短気な人が、悟りというか、ものの見方を変えたとたん、何とも大らかな人になるということもあります。幸之助は、「人間の心は孫悟空の如意棒のようなもので、伸縮自在、限りなく大きくもなれば小さくもなる。そこがまたおもしろいところだ」といっています。
そうだとすれば、日ごろの心がけ次第で心身ともに若々しさを保つこともできると考えられます。本に限らず、ワクワク、ドキドキするようなサスペンス、アクション映画を見る、今はやりのテレビゲームに興じる、あるいは若者のファッションや文化に挑戦するなど、これまで自分とは無縁だと考えていたことに思い切って取り組んでみる。はじめは努力して意識的に行なわざるをえないものでも、つづけていればいつしかそれが習い性になって自分のものになってくるはずです。つまり、以前はふけて見られていた人も、気がつけば、「あの人、最近何だか若々しいな」といわれるようになってくるわけです。
〝もう歳だから〟と、自分で自分をふけさせるような考え方をしていたのではますます若さを失うばかりです。松下幸之助が訴えるように、若さはいくらでも保ちようがあると信じ、お互い、努力していきたいものです。

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