LINEで送る

英文修正 人生の後半を生きる

古人曰く、人生はあざなえる縄の如し。まことにこの世の中、長い人の歩みの中には、よいこともあればわるいこともある。うれしいこともあれば悲しいこともある。そして、よいと思ったことが実はわるくて、わるいと思ったことが実はよかったということも少なくなく、人の知恵の浅はかさに、いまさらのように胸打たれることがしばしばある。
はじめからしまいまで徹底的にわるいということもなければ、また徹底的によいということもないのである。それでもなお人は、わるいと思うときには自分で自分の心を閉ざし、よいと思うときにはまたおごりの心で人をへだてる。
心を閉ざし、人をへだて、心と心とが通い合わぬ姿からは、お互いに協力も助け合いも生まれてはこない。心ひらかぬ孤独の人びとばかりになるであろう。
有為転変のこの世の中、よいときにもわるいときにも、いかなるときにも素直に謙虚に、お互いに心を通わし、思いを相通じて、協力し合ってゆきたいものである。

出典:『道をひらく』

 

 

よいことばかりの人生もなければ、わるいことだけの人生もない。おそらくこうしたことは、だれもがよくわかっていることでしょう。ところが人はいざ自分の人生となると、よいことが起こればそれが永遠に続くような錯覚に陥っておごりが生じ、わるいことが起これば一人悲嘆にくれ、まるで人生が終わってしまったかのごとく考えがちです。
中国に「塞翁が馬」ということわざがあります。これは、「よいこともわるいこともまったく予測がつかない」というほどの意味で、次のような故事に由来します。辺境の塞(砦)の近くに、占いが上手な老人(塞翁)が住んでいました。ある日、その老人の馬が北の方に逃げてしまいます。貴重な馬のこと、人びとが慰めると、老人は「これがどうして福とならないといえようか」と答えました。それからしばらくすると、何とその逃げた馬が駿馬を連れて帰ってきたのです。人びとのお祝いの言葉に、今度は「これがどうして禍をもたらさないといえようか」と老人は言いました。老人の言うとおり、間もなく老人の息子が馬から落ち、不幸にも足の骨を折ってしまいました。人びとが見舞いに訪れると、老人は言いました。「これがどうして福をもたらさないといえよう」。しばらくして、戦争で多くの若者が命を落としました。しかし老人の息子は、足が不自由だったおかげで戦争に駆り出されることもなく、死を免れたそうです。
松下幸之助は「人生は運不運の背中合わせといえる。いつ突如として嵐がおとずれるか、だれしも予期することはできない」と言っています。そして、「うろたえては針路を誤って、沈めなくてよい船でも沈めてしまう結果になりかねない。すべての人が冷静に、そして忠実にそれぞれの職務を果たせばよい。ここに全員の力強い協力が生まれてくるのである。嵐のときほど、協力が尊ばれるときはない。うろたえては、この協力がこわされる。だから、船が揺れることを恐れるよりも、協力がこわされることを恐れたほうがいい」と訴えています。
なるほど、いちいちよいことにおごり高ぶり、わるいことに塞ぎこんでいては、人を遠ざけるばかり。周囲の協力も得られず、孤独に陥りかねません。よいこともわるいこともあるこの人生、松下幸之助は、どんなときもお互いに心をひらき、助け合うことを忘れてはならないというのです。

LINEで送る