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英文修正 人生の後半を生きる

おかげで、私も元気に七十五回目の誕生日を迎えることができました。七十五歳というと、相当長生きしたなあという感じも一面するのですが、なぜかこれでけっこうだという気持ちは起こりません。むしろ、ますます大いにやらなくては、という気持ちになってきますから面白いものだと思います。
 やはり、人間は欲が深いというのでしょうか。だれしも、いつかは死ぬということは知っているわけですが、それでいて一面にいつまでも生きるような気でいる。しかし、それが人間というものでしょうし、私は、それでいいのではないかと思うのです。
 もう一、二年で死ぬだろうというような気持ちでいたのでは、なにをするにしても、やはりなんとはなしに力が入らないと思います。永遠に生きるものではないけれども、まだまだ生きられるだろう、と考えるところから希望もわいてきて、仕事の上でも、あるいは今日の社会情勢に対しても、こういうことをしていきたいという意欲も起こってくる。そして、そこに一つの生きがいといったものも感じられてくると思うのです。

出典:『松風(社内誌)』(昭和44年12月号)

どんな人でも、年齢を重ねれば、身体は若い頃と同じようには動かせなくなり、いろいろ支障も出てきます。もちろん身体ばかりではありません。心の面も、なんとなく集中力が続かなくなったり、物事に対する意欲もあまりわかなくなったりします。おそらくこうしたことは、なんの努力もしなければ誰しも避けることができないものでしょう。
そしてこのような心身の変化のためか、ともすると人は、「もう歳だから……」と年齢を言い訳にし、新しいことに挑戦しなくなりがちです。出歩くことも億劫になり、家に引きこもって、季節の変化、世の移り変わりにも無関心になってしまう。しかし、そうした日々を送っていたのでは人生が生きがいのない色あせたものになってしまいます。せっかくの私たちの人生、そんなことでよいはずがありません。それではどうすればよいのでしょう。
やはり生き生きとした心をもっていればこそ、新たなことに挑戦する気持ちが生まれ、思い切って自分の世界を広げることに取り組めるようになるのです。また、興味、関心のあることや得意なことだけでなく、これまで自分とは縁がないと遠ざけていた人や世界、事柄にも積極的に関わることで、さらに心が生き生き、溌剌としてくるということもあります。
そこで大切なのが、まず「もう歳だから……」という言い訳をやめること。そして「自分はまだまだ生きられる。時間はたっぷりある。また多くの役立つ経験も積んでいる。これからいくらでもなにかをなし遂げることができる。思い切ってやってみよう」と見方を変えてみる。そうすれば日頃の行動が変わり、それにつれて習慣も変わってきて、ついには人生のあり方も変わるはずです。
松下幸之助は、その著書『人生心得帖』の中で、自分より二十二歳も年長で百歳近くの彫刻家・平櫛田中氏に会った折に、「松下さん、六十、七十は鼻たれ小僧、男ざかりは百からですよ。だからわしもこれからですよ」と言われ、随分気持ちの若い方だなあという印象をもったということを紹介しています。さらに平櫛氏が満百歳になったとき、向こう五十年分の木彫用木材を庭に積み、実際に作品制作への意欲を保ちつづけておられることを知って、たいへん感銘を受けたと記しています。
まだまだ生きられる、なせることがたくさんある。そう考えるところに、意欲的に日々を送る気概も、お互いの生きがいも、生まれてくるのではないでしょうか。

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