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英文修正 人生の後半を生きる

生きがいという問題はお互いが日々をよりよく生きていくうえでまことに大切なものだと思います。一度しかないかけがえのない人生の貴重な一日一日を、これといった喜びや満足感を味わうこともなしに、ただ何となくすごしているということでは、これはその人生はいささか価値うすいものになってしまうでしょうし、極言すれば何のために生きているのかということにもなりかねません。また、もしそのような人が数多くいるとしたら、それは社会全体としても決して好ましいことではないでしょう。
もちろん一口に生きがいといっても、それは、人により場合によってさまざまであろうと思います。生きがいの対象は家庭だという人もあれば、仕事に生きがいを感じるという人、あるいは趣味やスポーツといったぐあいに、人それぞれに異なっているようです。そのこと自体、私はそれでいいと思います。生きがいというものは、一概にこうあるべきだというようなものではない、一人ひとりの顔かたちがちがうように多種多様であって当然だと思うのです。

出典:『人間としての成功』

 

私たちが生きていく上できわめて大切なものの一つに、〝生きがい〟ということがあります。〝生きているだけで儲けもの〟という言葉もありますが、それは命の尊さや生きていることに対する感謝の大切さを指摘したものであり、必ずしも生きがいなどなくてもよいということではないでしょう。やはり、ただ何がなしに生きているだけでは喜びがうすい。もう一歩進んで生きがいをもって生きてこそ、私たちはより豊かで幸せな人生を歩むことができるのではないでしょうか。
松下幸之助は、十五歳から二十二歳まで、大阪電灯(現・関西電力)で働いていました。当初は、内線見習工、工事担当者として屋根裏に上り、埃まみれ、汗まみれになりながら、電線を引く仕事をしていましたが、早くに最年少で工事人のあこがれである検査員に昇格します。検査員は、担当者が行なった工事をチェックして回る役職で、要領よくすれば、半日で仕事を終えることができました。あとは映画を見たり事務所で時間をつぶすなどしていればよく、世間から一目置かれる仕事でありながら、楽といえばたいへん楽な立場といえました。幸之助はそうした状況に満たされないものを感じるようになります。「検査員になったはじめのうちこそ喜んでいたが、一、二カ月もすると、物足りなくなってきたのである。若くて元気があったということもあろう。全力を注いで仕事をしてこそ充実感もあるが、半日ブラブラしているような状態では、なんとも物足りない。いわゆる生きがいの問題である。つまり、恵まれた会社生活ではあったが、仕事にハリがうすく、生きがいが十分に感じられなかった」
その結果、他の要因もあいまってついに独立するということになったわけです。
また次のようにも述べています。
「私は、今日のむずかしい世の中を一つの生きた芝居と見、自分はその中の主役であると考えたいのです。そうすれば、激動の今日の社会は、最も演技のしがいのある時代、いいかえれば、一番生きがいのある、おもしろい時代だということにもなってきます」
いま私たちはきわめて多くの難問を抱えています。しかしそうであればこそ、生きがいがあるのではないかと幸之助はいうのです。
もちろん、難問に挑むことだけに生きがいがあるわけではありません。生きがいはいろんなところにあり、また人それぞれに違うでしょう。大事なのは、お互いに生きがいが感じられるものをもって生きるということなのです。

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