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英文修正 人生の後半を生きる

人間というものはまことに勝手なもので、他人をうらやみ、そねむことがあっても、自分がどんなに恵まれた境遇にあるか、ということには案外、気のつかないことが多い。だからちょっとしたことにも、すぐに不平が出るし不満をもつのだが、不平や不満の心から、良い知恵も才覚も湧くはずがない。そんなことから、せっかく恵まれた自分の境遇も、これを自覚しないままに、いつのまにか自分の手でこわしてしまいがちである。
恵みに対して感謝をし、その感謝の心で生き生きと働いたならば、次々と良い知恵も生まれて、自他共にどんなに幸せな暮らしができることか。思えば愚かなことである。
だが、恵みを知ることは、そう容易なことではない。古来の聖賢が、恵みを知れ、と幾万言を費やしてきても、実感としてこれを受取る人はどれだけあるのだろう。頭で理解はしていても、心に直接ひびかないのである。
自分は恵まれているということを、直接、自分の心にひびかすために、日常の立居振舞いに、今一度の反省を加えてみよう。

出典:松下電器(現パナソニック)の販売店向け情報誌「ナショナルショップ」(昭和30年9月号)

 とかく人間は、些細なことで不平や不満をつのらせ、場合によっては、声高にあれがない、これがないといいがちです。ところが、満たされていたり、恵まれていたりすることについては、平生はあまり意識することがなく、感謝の思いをもつということもほとんどありません。
もちろん不平、不満を感じることも大切です。そこから問題解決のための創意工夫が生まれ、より繁栄した姿をつくり上げることができるからです。しかし、ただ不平や不満で常に心を一杯にしていただけでは気が滅入るばかり。結局、自分で自分の生活を味気なく、憂うつなものにしかねません。新たな創意工夫を生み出すどころではないでしょう。
そこで大切なのが、自分がどれほど多くのものに満たされ、恵まれているかを自覚することです。不平、不満もあるでしょうが、それと同じほど、あるいはそれ以上に恵まれていることがあるはずです。それらをしっかりとつかみ、意識したならば、心に喜びとともにゆとりが生まれてくるのではないでしょうか。
とはいえ、恵まれていることを自覚するのはなかなか難しいことかもしれません。松下幸之助も次のように述べています。「何といっても、自分がほんとうに貧乏になるのでなければ、貧乏の辛さというものは、なかなか分からないものです。同じように、いつも健康に恵まれている人には、病気の辛さというものは、身に沁みて感じられるものではありません。やはり、病気になってはじめて、病気の辛さが分かるのです。そしてはじめて、病に臥す人に温かい理解と深い同情がもてるようになると思うのです。その意味において、たとえ不幸にして病気にかかっても、それもまた人生の深さと広さを知る上において、一つの尊い体験になるのですから、必ずしも悲観する必要はないと思います」言い換えれば、健康に恵まれている人は日頃あまりそれを自覚していませんが、ひとたび病気になり、健康を損なうと、健康に恵まれていた有り難さを身をもって知るようになるというわけです。
幸之助は、「感謝の心を忘れがちになるのは、私に限らず現代人の欠点だと思いますが、この感謝の気持ちをもつことこそ日々を心楽しく積極的に歩む上での一つの力になるのではないでしょうか」ともいっています。難しいことであっても、お互い、心豊かに喜びをもって毎日を送るために、恵まれていることをたえず意識し、感謝することを忘れないでいたいものです。

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