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英文修正 人生の後半を生きる

人間の体は万病の巣と言われるごとく、百人の人が百人ともと言ってよいくらい、何か肉体の欠陥をもち、何か故障した箇所をもっております。病院へ出入りする人の絶え間がありませんし、薬の広告は次から次へと限りがありません。うっかりすると、健康な人は奇跡的な存在で、病をもつことが人間の常態のような錯覚に陥ることがしばしばあります。
しかしながら、病気はどこまでも変則であって、人間にとっては健康が本来の姿ではないかと思うのであります。すなわち、人間が自然の理法に適った生活さえすれば、健康を保持することができるようにちゃんとつくられていると思うのであります。
例えばどんなによい車でも、無理に高速で走らせてみたり、路からはずれて野原を走ったりすると、ついには故障せざるを得ません。健康を保持することはこれと全く同じで、ちゃんと健康なように人間はつくられているので、自然の理法に適った生活さえすれば、一生明るく楽しい健康を楽しむことができると思うのであります。

出典:「健康の原理(昭和25年11月発表)」『PHPのことば』

  松下幸之助は、生来、蒲柳の質といわれるような虚弱な体質でした。しかも十八歳の頃には海水浴の帰りに血たんを吐き、肺尖カタル(当時死病といわれた肺結核の初期症状)と診断されます。兄弟姉妹八人のうち、五人までもが幸之助が十一歳までに亡くなっており、その多くが結核だったことから、後に「これは自分の番がきた、くるものがきたな」と感じたと述べています。医者に「しばらく故郷に帰って養生しなさい」と勧められますが、すでにその頃には帰るべき家はなく、両親も亡くなっていました。しかも当時は日給制で、生計を立てていくためには勤めを休むわけにもいきません。つまり幸之助にできたのは、こうなったら仕方がないと腹をすえ、無理をしないで勤務しつつ、養生するということだけでした。そのため、三日働いては一日休み、一週間出勤しては二日家で休養するというような生活を続けることになります。
こうした体験をしている松下幸之助にとって、健康がいかに尊くありがたいものであったか。実際、健康に関し、みずからいろいろ思うところを述べています。たとえば「不安でも病から逃げないように。病を恐れて遠ざけていれば、病はあとから追いかけてきますよ。反対に病を味わい、病と仲よくすれば、しまいには病のほうから卒業証書をくれるものです」これは、肺尖カタルにかかったときに覚悟を決めて働き続け、ついに病を克服した体験から出た見方でしょう。また「みずからのもって生まれた資質というものを素直に承認して、それに応じた姿で体を大事にすることこそ大切ではないかと思います。私の場合、そうせざるを得なかったわけですが、それがいわば天地自然の理に従うということであり、これは健康にかぎらず、なんにでも当てはまることではないかと思っています」これも、決して投げやりにならず、体に配慮しながらできる範囲で仕事に打ち込んできた体験が言わしめていることでしょう。
人間は健康なときがあれば、病気のときもある。たしかにそうかもしれません。しかし、そうした見方では、健康は運任せとなってしまいます。やはり〝人間には本来、健康が与えられている〟と考えてはじめて、健康保持は自分次第と思えるようになるのではないでしょうか。松下幸之助自身、おそらくそうした考え方で健康管理に努め、九十四年の人生を全うできたのでしょう。

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