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英文修正 人生の後半を生きる

老いは等しく万人にやってくるわけですからね。まあ、若いうちは老人を養い、年老いたら子どもや国に養ってもらうのだという考えも、お互いに順ぐりに年をとっていくわけですから、それは決して誤っているとは思いません。
けれども、親はいつまでたっても子どもの幸せを願っている。そのためには年をとっても子どものやっかいにならないよう、若いときから親としての用意をしていく。つまり親は死ぬ瞬間まで、子どもに何ものかを与えつづけていく。物があれば物を、それがなければ言葉を、年老いて子どもをダッコする力はなくなっても、その精神はたえず子どもを抱きつづける。そういう気持ちがなくてはならんと思うのですよ。
そうすれば、子どもは子どもなりに親を認め、尊敬もするでしょうし、働きがなくなったり、万一、身体が悪くなっても、自然のうちに面倒をみる。おのずとそういう姿になってきますわな。そういう循環というか風習が常識になるような姿が、好ましい社会ではないかと思うのです。

出典:「提談・新しい日本のために 老人問題を考える─立派な養老院よりも老人に生きがいを─」『PHP』(昭和51年8月号)

 

私立大阪盲唖院の事務として働いていた父親の命により、九歳にして母親のもとを離れ、大阪は八幡筋の宮田火鉢店へ丁稚奉公に出た松下幸之助。まだまだ母親の温もりが恋しい年ごろです。著書の中で「晩、店をしまって床にはいると母のことが思い出されて泣けて仕方がなかった。これは初め四、五晩も続いたし、時を経て後も時々思い出しては泣けてきた」と振り返っています。そのようにともに過ごした時間が短かったこともあるのでしょう。幸之助の両親に対する思慕の念は、生涯失われることはありませんでした。「若い時は親の絶対の慈悲にすらそのありがたみを感ぜず、むしろいろいろと親の意にそむきがちであるが、親がなくなってみてはじめてその偉大なる愛に胸を打たれ、せめて少しでも孝行らしいことをしておいたならと口惜しく思うことが世の常である」といい、「せめて今まで、たとえ片親だけでも生きていてくれたなら」と感慨深くみずからの心情を吐露しています。「世の中に思いやれども子を恋ふる、思いにまさる思いなきかな」(紀貫之・平安時代の歌人)、「父母の恩徳は天よりも高く、海よりも深い」(中江藤樹・江戸時代初期の陽明学者)、「親思ふこころにまさる親こころ」(吉田松陰・江戸時代末期の教育者)といったように、昔から子を思う親の愛についてはさまざまに語られ、表現されてきました。つまり松下幸之助は、こうした親心からすれば、年をとった折に子どもに迷惑をかけなくてすむよう準備をするのが本来、親なのではないかというわけです。子どもに負担をかけたくない、心配させたくない。それは等しく子への親の深い愛から生じてくる思いでしょう。年老いても自活、自立する必要があると幸之助が再三再四訴えるのも、一つにはこのような理由があったからかもしれません。
しかし、そうはいっても、親と子が離れ離れで暮らすのが最も好ましい姿だということではありません。人と人の絆が求められる今日、それではあまりに寂しい話です。やはり、あえて〝親孝行が大切〟〝子への親の愛が欠かせない〟と声高にいわなくても、お互いに自立しつつ、その上でおのずと心が通い合い、知らずしらずに助け合いつつ穏やかに暮らせる社会。自然に生まれるそうした支え合いの家族のあり方こそがより望ましいのではないでしょうか。松下幸之助が望んだのも、おそらくそうしたかつての日本では当たり前に見られた姿だったといえましょう。

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