LINEで送る

誤解ということはよくあることだが、だれしも誤解されることを好むものではない。だから、それを解こうとするのは当然といえば当然だろう。
しかし、より大切なのは、誤解されたということについて自分自身反省してみることだと思う。というのは、ほんとうに正しいことであれば、一部の人は誤解しても、より多くの人はそれを認めてくれる。それが世の中というものであろう。
そう考えれば、誤解されたからといって、必要以上に心をわずらわすよりも、これをみずからの反省の機会としたほうがよいといえよう。

(「誤解されたら」『思うまま』)

 

お互いを正しく理解し合うのは容易ではありません。たとえば人間の歴史を顧みても、些細な行き違いや誤解から感情のもつれが生まれ、悲惨な争いにまでいたっている例はいくらでも見受けられます。同じ人間、しかも理性があれば知恵もあるはずですが、どうもそれらは私たちが思うほど上手に使えこなせていないのかもしれません。

異質なものへの漠然とした不安が誤解を導き、誤解から疑いが生じ、疑いが増大して恐れとなり、攻められる前に相手を攻めて屈服させ、不安を取り除いてしまおうとする。しかし人情として、一つの不安を除いたと思ったら別の不安が頭を持ち上げてきます。争いが絶えないのは致し方ないようにも思えます。もちろん私欲私心もまた争いの原因となりますが、それよりも私は何ともいえないこの不安な気分が一番大きな原因ではないかと思います。今日なお、世界中で軍拡が進み、核配備を試みる国が絶えず、さらに相対立する場所は地球上から宇宙空間、サイバー空間にまで及んでいます。ひょんなことから、人類のみならず生命そのものが地球上から死滅してしまう可能性は決して低いものではないでしょう。実際に、米科学誌「ブレティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスツ」が1月23日に発表した「終末時計」は、人類滅亡まで残り「100秒」となりました。過去70年間で最も短くなったのです。SFじみた話ですが、きわめて現実味を帯びて迫ってきます。

自分を理解してほしい、わかってほしいと思うのは誰しも共通した思いです。しかしなぜか誤解されてしまうことがある。そこでその誤解を解こうとして言葉や説明を重ねるのですが、話すほどにさらに誤解が深まりがちです。誤解を解くのは簡単なことではありません。説明すればするほど、それが言い訳じみたり、誤魔化しているように聞こえたりします。こうなるともう絡まった糸を解こうとするようなものです。言葉を尽くせば尽くすほど疑いや恐れが増し、双方ともに疑心暗鬼、相手憎しという思いまでもわいてくるかもしれません。

誤解は誤解として解く努力はしなければなりません。そのまま放っておくことは、誤解を認めたことになってしまいます。しかし、あまりにそれにとらわれ、こだわることは得策とは言えないように思えます。人と人が完璧に理解し合うことはありえないでしょう。とすれば、誤解を解くことよりも誤解を招くような言動をした自分を省みるよう努めるほうが後々のためになるのではないでしょうか。

私たちの日ごろの言動の多くは、無意識に行っています。そのため、丁寧に言葉を選び、表情は自然に柔らかくというのは意識しなければなかなかできません。少々油断すれば、言葉尻で誤解され、表情で疑われ、態度で不安を与えることになります。

結局のところ、日ごろから人間として信頼される言動、実践を心掛けることしかないのでしょう。一時的に取り繕ってみたところで信頼がなければ誤解は避けられません。しかし信頼があれば、多少言動におかしな点があろうとも、正しくあるがままに受け止めてくれるはずです。こうしたことが日々の暮らしの中で実現できれば、もっとお互いに仲良く力を合わせて日に新たな暮らしを築いていくことができるはずです。

さらに言えば、こうした信頼を築く努力が国家間でたえず積み重ねられるなら、決して相争うなどという愚かなことにはならないにちがいありません。世と人の繁栄、平和、幸福を実現する道は、こんなところにもあるのではないでしょうか。

経営理念研究本部 主席研究員 大江 弘

LINEで送る