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若さとは、常に何ものかを求めている姿をいうのだと思う。自分の仕事の上で、あるいは日常の生活の上で、常に新しいものを求めてゆく、そういう考え方なり態度が若さを生むというか、ある意味ではそれが若さそのものだといってもよいと思う。
年齢がたとえ百歳になったとしても、常に求めるという考え方なり態度を失わないかぎり、若さもまた失われないと思うのである。

(「若さ」『思うまま』)

 

見るもの聞くものすべてが新鮮に感じられ、行ってみたいところ、やってみたいこと、欲しいものがたくさんある。たわいもない友人らとの会話も楽しい。将来については不安、恐れよりも期待感や希望が上回っている。もちろん中にはつらく苦しいこともあるけれど、多くが絶望するほどのことではない。今思えばそれらは、たいてい次へのステップの糧となっている。無謀と思えるようなことに対しても躊躇なく挑戦する勇気が湧くし、我武者羅に打ち込むことさえできる。成功の姿を夢見て二日、三日寝なくても頑張り続けることができる。しかもそれをそれほどつらいとも苦しいとも思わない。ただただ毎日をほとんど憂いなくエネルギーにあふれて過ごしている。

多くの大人が経験してきたことです。一言で言えばまさに若さがなしえたことであり、キラキラと輝いていた時代でしょう。

この時代を振り返ったとき、みな懐かしいという思いとともに、自分の老いを感じざるを得ません。ついつい昔はよかったと口に出てもしまいます。多少の抵抗はできるとしても、年齢を経れば身体の不調、体力の衰えはどうしようもありません。これは命あるものの宿命あるいは大自然の摂理です。また新しいことについていけなくなってきた、好奇心がわかない、何事も面倒に思い、出不精になる。あるいは意欲や勇気、好奇心なども高まらず、心の動きが何となく緩慢になった。そして何かにつけ年齢のせいにすることが多くなっている。いずれも一面、致し方がないのかもしれません。

しかし、若い時はよかったと思い出に浸っているだけでは、せっかくの命を無駄遣いしていることにはならないでしょうか。一人ひとりいつまで命の火を灯し続けることができるかわかりませんが、命のある限り精一杯力を尽くして生ききることが、生を享けたものの責任ではないかと思います。そもそも、半世紀以前に比べて人生はとても長いものになりました。60歳で定年になったからといって老後とは言えなくなっています。

「七十、八十は鼻たれ小僧、男ざかりは百から百から」(平櫛田中『人間ざかりは百五歳』)と彫刻家平櫛田中氏も述べています。松下幸之助は平櫛氏と親交があり、次のような思い出を語っています。

「平櫛さんが満百歳になられたとき、ふとしたことから、平櫛さんが向こう五十年分の木彫用の木材を庭に積んでおられるということを知りました。初めてお目にかかったときに、“ずいぶん気持ちの若い人だなあ”ということは感じていたものの、百歳を超えてなお五十年分の木彫用木材を積んで作品制作への意欲をもち続けておられるということからすると、『男盛りは百から』と言われたのも、口先だけのことではない。やはりほんとうに自分の芸術を完成させるには、あと五十年間は木を彫り続けなければならないのだという、執念ともいえる強い思い、熱意をもっておられるのだなということを改めて感じさせられたのでした」(松下幸之助『人生心得帳』)

ただ漫然と生きるのではなく、天与の使命というか、目標というものを心の中で燃え立たせ、それに向かって努力することが大切なのだと思います。やはり衰えるままに任せて何事もなさなければ、せっかくの人生を全うすることはできないにちがいありません。松下幸之助は先ほどの話に続け「お互いだれでも、自分の生命がいつ尽きるか、それは分かりません。しかし、その最後の瞬間まで、なすべきことをなしつつ生きたいとの願いをもっていると思います。しかし、それを実際の人生において現実のものとしていくことは、なかなか容易なことではありません。私自身も九十歳を目前にして、そのことのむずかしさをときおり感じていますが、そんなお互いにとって、平櫛さんの生き方は、大きな得がたい励ましを与えてくれるものといえるのではないでしょうか」(同前掲)と述べています。

何歳になろうとも高い目標を掲げ、勇気をもって挑戦し続ける。そしてたえず情熱を燃やして生ききる。そのためには意識して心の若さを保つことが大事です。“もう年だから”と言い訳するよりも、まだまだ自分にはできることがあると考え、生き抜きたいものです。

経営理念研究本部 主席研究員 大江 弘

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