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今日、物の面は相当豊かになりつつあるが、心の面は必ずしも豊かになりつつあるとはいえないようだ。心の豊かさというものは、なかなか生み出すことがむずかしい。
しかし、考えてみれば、物を豊かにつくり出すには、いろいろと手間もかかるし、時間もかかる。それにくらべると、心をひらいて豊かにするには、一瞬の悟りさえあれば事足りるのではないか。むずかしいことではあろうが、心の豊かさというものは、お互いの心一つで即座に生み出すことができるということを、あらためて考えあいたいものである。

(「一瞬の悟りで」『思うまま』)

 

数千年にわたり、人類は進歩発展してきました。常に食べる物を心配しなければならない生活は、むしろ食品ロスが大きな社会問題になるほどになっています。生活に追われる暮らしぶりは、効率的に働き人生の質を高めるべく「働き方改革」が進められようにもなりました。医療の面でも、驚くほど発達し、以前ならば失われていた多くの命が救われています。その他あらゆる面で、私たちは豊かで安全、安心、安楽な暮らしを享受できるようになっています。先人の努力にどれほど感謝しても感謝しきれないでしょう。

ところで私たちの心の面はどうでしょうか。物質的な豊かさは実感としてありますが、心の面は不十分といわざるを得ません。これまで多くの聖人、賢人と呼ばれる人々がさまざまな教えを説いてきました。ところが、今なお同様の内容、心の豊かさの大切さなどが繰り返し訴えられ続けています。どうも私たちの心は、物質面での発達に比べほとんど進歩していないと言わざるを得ないようです。

例えば、私利私欲に振り回されるのは昔も今も変わらないように思います。法律等である程度制限されコントロールされるようになったとはいえ、隙あらば税金をごまかそうとする人は決して少なくありません。犯罪と知りながら事件を起こしている人も後を絶ちません。思いやり、愛が大事だとわかっていても、他人を一方的に非難し貶め攻撃してしまう人のなんと多いことか。家庭での虐待、学校や職場でのいじめ、差別、無責任で根拠のないネット上の誹謗中傷の書き込み……。昔のように自分の顔をさらしながらそうしたことをしていたときより姑息になった分、質が悪くなったと感じるのは私だけでしょうか。

またこれほど恵まれた時代に生きながら、心の中では実に多くの不満が渦巻いています。私自身、怒りや妬み、ひがみなど、うまく御せないでいます。さらに、昔では考えられなかったような精神的な病も蔓延し、毎年驚くほどの人々が自殺しています。心は成長どころかむしろ弱く退化しているのではないかとさえ思えてきます。

国家間や民族間などの争いも、その根底には心の未熟さがあるように思います。他の国、民族が自分たちを攻めてくるのではないかという漠然とした不安が妄想とともに恐れとなり、武器を手にする。何らかの些細なきっかけで小競り合いが起き、手にした武器を使用してしまう。こうなるともう収拾がつかなくなります。血で血を洗う争いが続き、弱い子どもや女性、高齢者の命がまっさきに失われることになります。すべてがお互いの心のあり方に端を発すると私は思っています。

物質的な科学技術の進歩発展が大事なのは言うまでもありません。しかしそれ以上に大事なのが心の成長、成熟なのです。

さて、それでは心の進歩というものはどのようにして成し遂げられるのでしょうか。もちろん大切なのは教育や体験、ひとり一人の心構え、刻々の気づきに違いありません。日本では江戸時代に朱子学を中心とした道徳教育が行われ、人間としての心のあり方の涵養が大切にされていました。それ以外にも様々な有名人の伝記(講談)のようなものが説かれ、大いに日本人の心の教育に役立ったのではないかと思います。

それではそのような道徳教育を積み上げていけばよいのかというと、必ずしもそうとは言い切れません。教育だけでなかなか人は変わることができないものだと思います。日常的にお互いに励まし合い、注意し合うような、社会全体の取り組みが欠かせないでしょう。また一方で、人間の心の成長は必ずしも知識のように積み上げていけるものとも限りません。禅宗の悟りに関する記録や“目からうろこが落ちる”という言葉のように、心の成長は一瞬の気づき、悟りによっておこる面もあります。松下幸之助が指摘している考え方については、私も大いに賛同するところです。そして階段を一段昇るようなこの一瞬の成長は、静謐な心、波一つない鏡のような水面にも似た心であってこそ起こるのではないかと私は思っています。

悟りを得るのは容易ではありません。しかしそこまでいかなくても、日々の心がけで少しでも人として好ましい心の成長を図っていきたいと思います。

経営理念研究本部 主席研究員 大江 弘

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