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私はよく若い人たちに、信念をもてとか使命感をもって仕事をせよとか言うのであるが、私自身どうかというと、別に人よりも強い信念や使命感を常にもっているわけではない。むしろ、ともすればくじけそうになるし、またときに煩悶もはげしいものがある。
しかし、そういう弱いといえば弱い自分ではあるが、また心をとり直し、勇気をふるい起こして若い人たちにも言うのである。そしてそのことによって、私自身も、その信念を自分のものとしてより強固にしていっているといえる。信念とか使命感といったものは、終始一貫してもち続けることはなかなかむずかしいものである。たえず自分自身をはげましていなければならない。

 (「自分で自分を」『思うまま』)

 

信念、使命感、責任感や勇気、自信を持つことが大事……。折に触れそうしたことを他人に対し話すことがあります。“じっくり検討し、計画を立て、強い決意をもって実行せよ”、“また何があってもくじけず最後までやり通せ”等など、激励の言葉を口にすることも少なくありません。

しかしそうした場合、大概自分のことは棚に上げているのではないでしょうか。“あなた自身は信念、使命感をもっているか”と問われたなら、どれだけの人が胸をはって“もちろんもっている”と断言できるでしょう。たいへん心許ないのが実情かと思います。

特に子どもに対する親の躾はそうした傾向が強いようです。“嘘をついてはいけません”“約束は守りなさい”“時間のけじめをつけなさい”“勉強しなさい”など、数多くのことを親は子どもたちに口やかましく言い聞かせます。しかし親自身、顧みたときそれほどできているわけではありません。ついつい時間の約束を破っている人は少なくないでしょうし、だらだらと時間をつぶしていることも多いはずです。そもそも毎日、仕事で疲れたといっては、たいした勉強も運動もせず、ごろごろしてばかりいる親の姿を子どもたちは見ています。これでは子どもが言うことを素直に聞くはずがありません。

こうしたケースは親子の関係だけでなく、職場の上司、部下との間にも起こっています。部下ほど上司の姿をよく見ている者はいません。どれほど上司が口先で自己の力を誇示し、過去の業績をほこらしげに話しても、日ごろの言動が部下にとってはすべてです。面従腹背、陰で何を言われているかわかったものではないでしょう。当然、そうした上司のもとでは成果が上がるはずもなく、じわじわと経営全体が腐食していくのは火を見るより明らかだと思います。

有言実行の姿が子どもにとっても部下にとっても何より模範となります。そうあることができるようお互いに心掛けることが大切なのは言うまでもありません。

とはいえ、凡人たる私たちに完璧はありません。あれも不十分、これもまだまだ、ということは誰しも一番わかっているはずです。しかし自分にできていないからと言って、子どもや部下の問題点を注意、指導しないわけにもいきません。自分のことをあえて棚に上げなければならないことが、ときに必要になってきます。もちろん棚に上げっぱなしでは前述のように子どもも部下も成長しません。棚に上げた自分の問題点については、もう一度目の前におろして対峙し、自らを叱責、激励しつつ改めることが欠かせないと思います。50点しかとれていてないものは60点になるように、60点しかないものなら70点になるように努力を重ねることが求められるわけです。そうした懸命な姿が目に入ればこそ、子どもも部下も、あるいは他の人も少なからず信頼感をもつようになり、その人の注意や指導にも耳を傾けるようになるのではないでしょうか。

人間は一面とても弱いものです。“魔が差す”という言い回しや、“ついつい”などの表現はそうした人間の姿を指摘したものです。お互いのそうした傾向をしっかり踏まえて、自分自身を叱咤激励する。また他人に対して指示や教示を言わざるを得ない立場であれば、それにふさわしい言動ができるようなお一層自分を厳しく律する。そこから自らの真の成長が生まれてきます。他人もまたその力強い努力の姿に引き寄せられるように変わっていくにちがいありません。“脚下照顧”、“隗より始めよ”。皆さんはいかがお感じになりますか。

経営理念研究本部 主席研究員 大江 弘

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