LINEで送る

紙一枚を見ても、これとまったく同一の紙は世界にこの一枚しかないのだと考えて大切にする人と、こんな紙ぐらいいくらでもあるわいと粗末にする人とでは、どちらが人間として好ましいであろうか。
同じ物に対しても、その価値のつかみ方、認識の如何で、われわれの人生すらも変わってくるとも考えられよう。そういうところにも、人生の一つのポイントがあることを心したいものだと思う。

(「物の価値」『思うまま』)

 

ダイヤモンドや金はきわめて希少な物質です。しかもキラキラと輝いて美しいため、高価な貴金属として取引されています。ちょっと指紋が付いた、埃で汚れたからといって捨てる人はいません。その価値を知る人はみな大事に取り扱っています。

一方で、石炭や鉄などは、ダイヤモンドや金に比べ無造作に扱われているといってよいでしょう。石炭や鉄は潤沢に私たちの周りにあります。さらに石炭は燃えてしまえば灰になり、鉄は錆びればもろくなってボロボロと崩れてしまいます。石炭や鉄をダイヤモンドのように取り扱う人はいません。経済的な値打ちに大きな差があるからです。

しかし、経済性という基準をはずし、それらの価値を比べた場合はどうでしょうか。私にはそのもの自体の価値に差はないように思えます。

たとえば私たちの生活では、ときに石炭や鉄のほうが生活に欠かせない場合があります。ダイヤモンドは火にくべても温かくなりません。暖をとるならやはり石炭でしょう。鉄は固くさまざまな製品に生かされています。特に建築において鉄骨のフレームはなくてはならないものとなっています。金は高価できれいですが、柔らかいのでそれを柱やフレームにした建物には安心して住むことができないでしょう。

ダイヤモンドも金も単に希少性だけではありません。もちろんその性質を生かした用途があります。ダイヤモンドは硬質なものを削る刃になり、金はコンピューターやカメラ等の電子回路基板に欠かせません。つまりどのものにもそれぞれの特性、性質があり、それに応じた用途があるというわけです。あらゆるものが、その所を得ることで大いに役立つことを理解すれば、無為にものを扱うということはできなくなるでしょう。

加えて私たちが考えなければならないのは、ダイヤモンドも金も、石炭、鉄も、降ってわいてきたわけではないということです。すべて絶妙な自然の力によって生成されたものです。自然の条件が少し異なるだけで、それらは形成されません。さらに私たちがその価値に気づき、掘り出し方や取り出し方を発見して初めて使えるようになります。つまり自然の摂理とあいまって多くの人々の知恵、創意工夫、努力が欠かせないのです。みなこれ大自然の恵み、人々の労力の賜物と言っても過言ではないでしょう。価値のないもの、疎かに扱っていいものなど一つもないのです。

万物それぞれに価値がある。大切なことはその価値に気が付くことができるかどうかです。

加えてたくさんあるからといって無暗に消費してもよいということにはなりません。すべて有限であり、なくなってしまうことも考えられます。また消費の仕方で処分に困るゴミが出て環境を害することもあります。紙はもちろん、水や空気でさえも、大自然や先人のおかげ。それを安易に扱うということは、自然の摂理、先人の汗をないがしろにするということにほかなりません。

それぞれの物に対する見方、考え方が変わることで、真の価値を改めて知ることになります。それによって物の有難味を感じるとともに感謝の心がわいて、豊かに過ごすことができるようにもなるでしょう。さらに物を大切に扱うことで、豊かな環境も残されます。

私たちは、もっと物の価値、有難さを認識、理解し、生活を改めていくことが必要なのではないでしょうか。

経営理念研究本部 主席研究員 大江 弘

LINEで送る