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学校を出て会社に入っても、ただ単に自分に与えられた仕事のみをやっていればよいと考えて毎日を過ごしていたならば、そこにあまり楽しさを感じることもないだろうし、また物事を見る視野もかぎられてしまう。
それでは、どうすればよいのだろうか。一つには、会社というものを、人間なり人生について教わる学校であると考えてみたらどうかと思う。この学校にはいろいろな人間がいて、さまざまな人生模様がくり広げられている。学ばねばならないことは無限に出てくる。
そう考えれば、人間を学び、人生を探究するために、何でも進んで取り組もう、吸収してゆこう、そういう意欲もわいて、日々の楽しさも生まれてくるのではなかろうか。

(「人間を学ぶ」『思うまま』)

 

指示されたことを懸命に行うのはとても大切です。しかし指示されたことだけを淡々と行っているようでは、仕事の幅は広がらず、もとより成長はなく、やり甲斐や喜び、達成感なども感じにくいでしょう。

もちろんこのことは必ずしも職場に限るものではありません。家庭の中でも同様です。子どもが親から指示されたことだけを強いられていては、無気力になるばかりか、自尊感情や自己効力感も育まれず、ひとりの人間として成長していくことが難しくなるにちがいありません。あるいは社会の中でも同じことが言えます。国民が、国家や軍などが命じることだけしかしない社会は、進歩発展はなくただ滅びていくだけではないでしょうか。そもそも人間は、それぞれに好き嫌い、得手不得手、やってみたいこと、なりたい姿、夢や希望というものがあります。それらを無視して、“あなたはこれだけをしていればよい”と命じられ、機械のように動いていてもなかなか充実感を覚えることはできないように思います。

指示されたことだけをしていれば、確かに責任を負わなくて済みます。結果がどうなろうとも自分とは関係がないと割り切れるわけですから気楽なものです。世の中には、そのほうが自分には都合が良いという方もいるかもしれません。しかし、その結果次第で自らの人生が左右されるとしたらどうでしょうか。収入がゼロになる。仕事がなくなる。周囲の人から軽視されたり疎まれたりする。一人前の人として認めてもらえない……。そんな事態を招くことになっても、他の判断や指示のままに生きていきますか。やはり結果はどうであれ、自分の人生は自分の考えなり判断で決めたいと思うのが人情というものではないでしょうか。

責任が伴うにしても、自分なりの考えで、自らやってみること。そうする中で真の生きがいも生まれてくるにちがいありません。視野も広くなり、意欲もわき、人としての成長もあるでしょう。

しかし初めから自分のやりたいようにできることはまずありません。例えば職場で、大学を卒業したばかりの新入社員に会社の命運を左右するような仕事を任せることができるでしょうか。やはりそれは、知識や技術、経験のある人に任せるはずです。自分なりに考え、アイデアを出し、思う通りにやってみるチャンスはそう簡単に手に入らないのです。

そこでどうしても必要になるのが、仕事に必要な知識や技術を身につけ、経験を重ねることです。

とはいえ、この知識や技術は学校や教科書だけで身につけることができるほど簡単なものではありません。例えば、どれほど素晴らしい大学で経営学の研究をし、必要な知識や技術を身につけたとしても、それで立派な経営者になることはできないでしょう。やはり現場で学ぶ知識や技術、さらに多くの人との出会いを通じて得られるさまざまな体験があって、学校や教科書での学びがはじめて生きたものとして働くようになるわけです。

そうであれば、日々あらゆる場所が学校であり、人や物は教師になりえます。無駄なことは何一つありません。それらを自分自身の成長の糧として、すべてを生かす気概をもって取り組めば、毎日が刺激的で面白いものにもなるでしょう。そしていつか、自分の考えで仕事に取り組むチャンスも訪れます。毎日がより楽しく生き生きとしたものになるにちがいありません。

経営理念研究本部 主席研究員 大江 弘

 

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