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ともするとわれわれは、人間を理想化して神のように考えたり、反対に動物のように見て事を処理しやすい。けれども、人間は神でもなければ動物でもない。あくまで人間なのである。
したがってわれわれは、この人間の本質というものを素直に見て、それに立脚しつつ、政治、経済、教育など一切の社会活動を行なってゆくことが大切であろう。さもなければ人間みずからをいたずらに苦しめることになってしまうと思う。

(「人間は人間」『思うまま』)

 

これまで人間は驚異的な発展を成し遂げてきました。高度な社会を形成し、たえず進歩し続け、今日、陸や海、空、さらに宇宙にまでその開発の手を広げています。バベルの塔をはるかに凌ぐ天にも届くほどの建物を築き上げ、大空を高速で自由に飛び回れるおかげで、徒歩であれば何年もかかるようなところへ、十数時間で行くことさえでき、はるか彼方へ言葉だけでなく音声や映像などの情報を一瞬のうちに届けることができます。この世に存在しなかった動食物を創造し、季節や天候に左右されずに豊かな食料を手にすることもできます。このような姿を一つひとつ見いくと、“人間ほど偉大な存在はいない”“人間がこの世の支配者である”と錯覚しかねません。“先生、先生”と呼ばれているうちに自分は偉い、尊敬されるべきだと思い違いする人がいるようなものです。

どんな動物にも天敵がいますが、人間には天敵はいません。食物連鎖の頂点に君臨しているどころか、さらに生命の神秘まで解き明かせるようになってきています。またその力は、ついには自らの体を思うように改造、進化させることができるまでになりつつあります。あたかも神様のような存在になった気がしても致し方ないのかもしれません。

しかし、実際には神様のように万能でなければ、創造主というわけでもありません。不可能なことはいくらでもあります。科学の最先端にいる研究者によれば、新たな発見、発明を一つしたら、その何倍もの謎や疑問がわいてくるそうです。人間は万能のように見えて、何でも思うようにできるほどの力はもっていないのです。

そのため自分たちが神様のような存在だと考えて物事を判断し、処していったなら、大きな問題を引き起こすことになります。例えば多くの動植物を絶滅させ、環境を破壊し続けているという事実をあげることができます。そのため人間の手に負えないほどの異常気象が頻発し、疫病を蔓延させることになっています。また万能どころか、自ら無駄な紛争や争い引き起こし、失わなくてもよい命まで失うことを今もって続けています。神様どころか、場合によってはむしろ人間がいるために引き起こされている害のほうが多いかもしれません。

結局人間は、神様どころか母なる地球にあだなす害獣でしかないのでしょうか。進歩発展を成し遂げた偉大な存在に見えても、その裏では同種族で悲惨な殺し合いをするような愚かな存在でしかないのでしょうか。ふと人間が存在しなかったほうが、この地球上はどれほど平和だっただろうと思うことがあります。

人間が神様なのか害獣なのか。このように単純に考えることは実はあまり意味がありません。善か悪か、優れているか劣っているかをどれほど追求していっても、決して答えはでないでしょう。人間は善であるときもあれば悪であることもある、優れていると思える場合があれば、愚かで劣っていると感じるときもある。それが人間のあるがままの姿です。

つまり私たち人間は人間以上でも人間以下でもない。あくまでただ人間という存在なのだと思います。言い換えれば神様や悪魔でもない、優れた動物でも劣った動物でもないというわけです。

そう考えると、人間には人間としての生きる道があるように思えます。神様のように驚くべき力をもつ一方で、それを誤った方向に行使してしまう面もあります。賢かったり愚かだったり、強かったり弱かったり、正しかったり誤っていたりなど、人間のそうしたあるがままの姿をしっかりとつかみつつ生きていく道です。ときには動物としての本能に振り回されることもあります。その点については、本能は本能として尊重しつつ、それを適切に生かすように努めることも人間の生きる道には欠かせないでしょう。

私たちがお互いに豊かに仲良く幸せに生きていくためには、人間であるという事実をしっかりとわきまえながら、七転び八起きの精神で驕らずへこたれず、一歩一歩前に進んでいくことが大事だと思います。またおそらくそれができるのが、人間の素晴らしさなのではないかと私には思えてなりません。

全国PHP友の会顧問 大江 弘

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