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一隅を照らす、これ則ち国宝なり

(伝教大師最澄『山家学生式』)

 

 

 

多くの人が社会の行く末を憂い、嘆きますが、しばしばそれは不平不満を口にすることに終始しがちです。もちろん、政治の是非なり、お互いの見解の良し悪しを批判、議論し合うことは大いに結構です。しかし、議論だけで世の中が変わることはありません。具体的な行動がどうしても必要です。

もっとも、そうしたことはわかっていてもなかなか行動できないのが人間の一面です。特に国家や世界、世の中という大きな事柄を対象に批判する際は、往々にして自分は無力だから責任がないというように無意識に考えているきらいがあります。

“それではあなたは何をしますか”と問われたら、“自分にはその力がないからどうすることもできない。財力や権力などの力をもっている人の責任だ”と答える人が多いのではないでしょうか。つまり自分の力では何も変えることができないということが、一つの免罪符になっているわけです。

もちろん中には自分自身の不甲斐なさに大いに失望する人がいれば、真剣な思いから政治家を目指す人もいるかもしれません。でもやはりたいがいの人は、自分のことは棚に上げここぞとばかりに他を批判し、日頃の自分のストレスのはけ口にしているだけのように思えます。

たしかにお互い力乏しき一般の人間には何の手も打てそうにないかもしれません。とはいえ、まったく何もできないわけではないはずです。

『ペイ・フォワード』という映画がありました。「もしきみたちが世界を変えたいと思ったらどうしますか」と先生が中学生たちに問いかけます。主人公は、アルコール中毒の母親、近所のホームレス等、身近な幸せとは思えない人々のことに思いを巡らし、一つのアイデアを思いつきます。それは、自分が受けた好意や善意を相手ではなく別の3人に贈るというものでした。当初それは失敗に終わったかのように見えましたが、少しずつ主人公の知らないところで広がり、ついには実に多くの人々を救うことにつながっていくというストーリーです。

一人ひとりにできることはわずかかもしれません。しかしそれぞれができる範囲で自他の繁栄、平和、幸福に役立つ実践を重ね続けるならば、必ず世界は大きく変わるはずです。松下幸之助は、「十を受けたら十一返す」という言葉を残しています。このプラス一が、社会をより豊かにするというのです。

私たちの暮らしがより便利で豊かで温かなものになるかどうかは、やはり一人ひとりの行動にかかっているといってよいのではないでしょうか。

些細なことなど一つもありません。挨拶一つでもどれほど私たちの心を温めてくれることでしょう。言葉をかけることや献血、寄付も少々の勇気があればできないことではありません。困っている人がいれば手を貸す。ご高齢の方や妊産婦の方には席を譲るというのはごく普通にできます。

宮沢賢治は次の有名な詩を遺しています。

「雨ニモマケズ 風ニモマケズ 雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ 慾ハナク 決シテ瞋ラズ イツモシヅカニワラツテイル
一日ニ玄米四合ト味噌ト少シノ野菜ヲタベ アラユルコトヲ ジブンヲカンジョウニ入レズニヨクミキキシワカリ ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ小サナ萱ブキノ小屋ニイテ 東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ 南ニ死ニサウナ人アレバ行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ 北ニケンクヮヤソショウガアレバツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ サムサノナツハオロオロアルキ ミンナニデクノボートヨバレ ホメラレモセズ クニモサレズ サウイフモノニワタシハナリタイ」(「雨ニモマケズ手帳」)

宮沢賢治も最澄も法華経の教えに強い影響を受けています。「一隅を照らす」に相通じるところがあると言えます。

多くの人が、世と人のために自分ができることを飽きず焦らず諦めず、少しずつ着実に実践し積み重ねていくならば、世界はまたたくまに素晴らしいものに変わると私は信じています。そしてわずかでも自分にできることを実践するそうした人たちこそが、国宝つまり尊い人材といえるのではないでしょうか。

経営理念研究本部 主席研究員 大江 弘

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