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どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。

何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、

求めているものを神に打ち明けなさい。

(新共同訳『新約聖書』)

 

悩むのは人間の特徴の一つといってよいでしょう。一度も悩んだことがない人はおそらくいません。ときには悩み事を自ら探し出してまで悩む人がいます。もしかすると、人間には生まれながらにして悩む仕組みが特質として備わっているのかもしれません。

「物事が思い通りにならない」、「楽しくない」、「不快に感じる」というときに悩みが生まれます。そして悩みは、つらい、苦しい、悲しい、腹立たしいなどの感情を引き起こし、私たちの心を激しく揺さぶります。そのため心を病んでしまうことも珍しいことではありません。悩みたくないと思うのが人情ですが、それでも悩んでしまうのがやはり神ならぬ人間です。

しかし大きな視野で眺めると、人類の進歩発展は、多くの人が悩むことで成し遂げられてきたといえます。科学技術はもちろん、芸術や文化、宗教や哲学、聖賢の尊い教えなど、いずれも心をすり減らすほどに思い悩むことで生みだされたことは、数多くのエピソードが物語っています。

また、人生の途上で大きな壁にぶつかり、必死に悩むなかで人は成長していきます。何の苦労もせず、思い悩むことなく一人前の大人になることはできないと思います。「艱難汝を玉にす」と言いますが、まさに困難にぶつかり、深く思い悩んだ経験が人を磨き上げるのではないでしょうか。

さらに、何の悩みも苦労もないのっぺらとした人生は、とても味気ないものに違いありません。困難があればこそ、それを乗り越えたときに大きな達成感、充実感、喜び等が得られます。苦労もなければ喜びもない。それほどつまらないことはないでしょう。悩むことで人生に深い味わいが生まれてくるように思えます。喩えるなら、悩みは人生を豊かにしてくれるスパイスのようなものなのです。

ところが、それほど意味のある悩みも、過ぎればかえって人を苦しめるばかりです。過ぎた悩みが負の感情のスパイラルを招き、深みにはまっていく。こうなると自力ではなかなか抜け出すことができず、ついには尊い自らの命を捨て去ってしまう人さえ出てきます。悩むのも程度問題で、何のプラスにもならないのであれば、苦しみ悩むかいがありません。

また、しばしば私たちは自分ではどうしようもないことで悩む場合があります。“もっと和やかな時代に生まれたかった。どうしてこの時代、この場所で生まれたのか”、“男(女)のほうが生きやすそうだ。なぜ自分は女(男)なのか”、“プロサッカー選手になりたかったのに、なぜ思うようにならないのか”、“彼はあんなに成功している。もっと努力している自分がどうして成功できないのか”など、やり方や努力次第で何とかなる場合もありますが、個人の意思や力ではどうにもならないことが少なくありません。その場合、どれほど熱心に考えても答えは出ません。まるで解けないパズルを解こうとするようなもので、心が消耗するばかりです。

悩みのとりこになる、とらわれる、こだわる、縛られてしまう……。こうなると、物事を自由自在に考えることができなくなります。「困った、困った」、「どうしよう、どうしよう」と繰り返すだけで、一歩も前に進めなくなった経験は誰しもあるのではないでしょうか。そこには何の益もありません。

悩みにとらわれると、しばしば視野が狭くなります。しかも、知らずしらず自分の損得利害ばかり考えるようになってしまいます。どれほど周囲から助言や支援があっても気がつきにくく、たとえ気がついたとしても、素直に謙虚に耳を傾け、感謝することができません。逆に反論したり批判したりと、周囲の人を遠ざけるようなことをしがちです。

悩むことは大事です。大きな飛躍には、深く思い煩うことも欠かせないでしょう。しかし、悩みにとらわれてしまっては苦しいばかりで何も得られません。悩むべきは悩む、悩まなくて良いことは悩まない。自分の頭と心を柔軟に使うことが必要です。またその際、自分のことだけを考えるのではなく周りの人にも思いをはせ、謙虚に耳を傾けつつ感謝の心をもつ。そうすれば、柔軟に対応することができるようになるのではないでしょうか。

難しいことですが、上手に悩みとつきあうよう心掛けたいものです。

 経営理念研究本部 主席研究員 大江 弘

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