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一つの心が壊れるのをとめられるなら

わたしの人生だって無駄ではないだろう

一つのいのちの痛みを癒せるなら

一つの苦しみを静められるなら

一羽の弱ったコマツグミを

もう一度、巣に戻してやれるなら

わたしの人生だって無駄ではないだろう

(『エミリ・ディキンスン家のネズミ』)

 

“何のために生きているのか”、“生きることに価値があるのか”、“私は生きていてよいのか”など、生きる意味や価値が見出せず、思い悩むときがあります。以前であれば、こうした悩みは青年期の一時的な病のようなものとみなされていました。しかし今日、老若男女を問わずいつも心の隅にある問題になっているのではないでしょうか。

この人生にかかわる問いは、特に困難にぶつかり、挫けそうなときに心の中で大きくなることが多いようです。なかなか困難を乗り越えることができず、切羽詰まる。心が押しつぶされるような感じ。寝ても覚めても重く暗い鬱々とした気分に陥り、困難を打開しようという気力が湧き上がらない。もちろん頭も回らなくなってしまう。これはとてもつらく苦しいことでしょう。“どうして自分ばかり苦しまなければならないのか”、“こんなにつらいのにどうして生きなければならないのか”など、疑問がわいてくるのもごく当然だと思います。

また大きな困難でなくても、日々のストレスがきっかけになる場合も少なくありません。家庭や学校、職場での人間関係がうまくいかず苛立ちや怒り、悲しみ、孤独感などで心を悩ませる。すると、こんな思いまでして生きる意味は何かという問題がクローズアップされてきます。それが臨界点を超えると、ダムが決壊するように一気に命を左右しかねない大きな問題になるわけです。うつ病が企業にとって無視できないものになったことは、多くの人が実感しているところでしょう。

何がきっかけになるにしろ、生きる意味や価値、自分が生きていてよいかどうかの悩みが心を占めると、簡単には抜け出すことができません。そのため、ときにこの問題が思いもかけず深い苦悩となり、ついには自ら命を絶ってしまう人が相当数出るわけです。

人間は、世界と自己の関係を認識し始めて以来、この問いを追い続けてきました。例えば、数千年にわたり哲学や倫理学等で研究が重ねられています。しかしいまだ皆が納得できる答えは得られていません。ここまでくると、もしかしたら普遍的で誰もが承認できる答えはないのかもしれないと思えてきます。

ただ誰もが納得できなくても、人ごとに何らかの個人的な考え方を持つことはできます。しばしば宗教家や聖人・賢人らが、それぞれの立場から人生について熱心に語っています。例えば、人生の目的は“自らを磨き高めるため”、“楽しむため”、“贖罪のため”、あるいは“そもそも意味などない”、“目的も価値もない”など、実にさまざまな考え方があげられています。個人的な見解ですから、他人が是非を論じたりどうこういうべきものではないでしょう。つまり今のところ人生の意味や価値をどうとらえるかは、人それぞれに委ねられているというわけです。

もっとも答えが人それぞれに委ねられているといっても、どんな答えでも構わないというわけではないでしょう。というのも人生についての考え方、受け止め方によっては、その人自身のみならず、周囲の人、社会まで不幸にしかねないからです。とりあえずどのような考え方をするかについて、いくつかの指針をもって十分検討する必要があるのではないでしょうか。

その中の一つの指針としてここで取り上げたいのは、私たちは生きる意味や価値を大仰に考えすぎているのではないかという点です。世界的に成功しなければ生きている意味がない、歴史に名を残さなければ価値がないなどというのは勝手な先入観に思えます。お金持ちでなくても、有名でなくても、あるいは悟りをひらいていなくても、それは人生の意義を大きく左右しないように私には思えます。

他に対する思いやり、やさしさ。挨拶や笑顔、優しい声、温かな態度…そうした些細な言動に生きる意味、価値、人生の役割があるといったとしても、決して誰からも否定されることはないはずです。そしてもしそう考えるならば、誰もが自分のできる範囲で心豊かに生きることができるようになります。

お互いのすべての言動に意味があり価値がある。何かを成し遂げたかどうかではなくいかに生きて行くかにこそ意味がある。誰かをそっと励ましただけで、生まれてきたかいがあり生きた意味があるとしたら、私たちの人生をたくさんの意味や価値で溢れさせることもできます。誰にも無駄な生とは言わせない力強い歩みができます。

すべての人が天与の命を生きています。生を享けたからには意味があります。役割があります。無駄な命など一つもありません。生きるための多くの恵みは、「生きよ、生きよ」という天の意志を表していると考えても差し支えないでしょう。ただただひたすら生き抜くこと。その中に生きる意味、価値が現れてくるように思えます。

皆さんはどのように考えますか。

経営理念研究本部 主席研究員 大江 弘

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