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慰められることを求めるよりは慰めることを

理解されるよりは理解することを

愛されることよりは愛することを

求める心をお与えください

 

シスター マザー・テレサ『マザー・テレサ 愛の軌跡』

 

生きていれば苦しいこと、悲しいこと、つらいことがいくらでもあります。そんなとき、他者からの慰めや励ましがどうしても欲しいもの。厳しい坂道に耐えられず倒れ込んでしまった際、誰かが手を差し伸べ肩を貸してくれるなら、今一度立ち上がり歩みを進める勇気もわいてくるはずです。

とはいえいろんな人がいます。時と場合によって、自力で立ち直れるという人もいます。自分で自分自身を鼓舞するきわめて強い精神力に加え、苦難の中でも道を切りひらき、着実に前へ前へと進んでいくことができる人たち。たいへん素晴らしいことですが、誰もがいつでもそのようにできるものではありません。

だからマザー・テレサは、日々神に祈りをささげたのではないでしょうか。つまり、ひたすら慰めを求め続ける子どものような本質と、それを自力だけで乗り越えられない人間の弱さを謙虚に受け止めていたからこそ、まず神の恵みを切に願い、お互いの研鑽を通じて自らの成長を図りつつ、世の人々にもそうした強い人間になろうと呼び掛けていたと思うのです。またおそらく、そうあってはじめて世の人々の心が豊かになり、人の和が生まれ、愛にあふれた社会も実現するに違いありません。

また人は、たえず自分自身が理解され、認められることを渇望しています。というのも、“私は素晴らしい”“私は生きていても良い”などの自己肯定感は、他者から認められ、受け入れられることではじめて育ちます。この自己肯定感が育たないと、“私はしょせんつまらない存在だ”“私は生きていても価値がない”などとひがみ、悲観し、厭世的になり、生き難さに苦悩したあげくに自ら命を絶つことにもなりかねません。そのため何としても他者から認められたい、理解されたいと願い求めるわけです。誤解されることをたいへん嫌がるのもそうした事情によるものでしょう。

でもそれが行きすぎると、手段を選ばず経済的な成功や名誉を求めるようになってしまいます。なりふり構わずお金や出世を手にしようとする人には“理解されたい”“認められたい”という渇望が根底にあるはずです。単純に金の亡者、出世欲、名誉欲の虜というだけではありません。人間の心の根底にある寂寞たる孤独感に突き動かされているとも言えるのです。

そうした人間の一面を踏まえつつ、マザー・テレサは、「理解されるよりは理解することを」と願うのです。おそらくそこに心の安寧が、共に生きる人々の友愛が育つのかもしれません。とはいえ、それは何とも厳しい道です。

さらに、私たちの多くは、何よりも他から愛され必要とされることを強く求めています。というのも、そこには慰めや励まし、理解、承認、加えて許しや慈しみなどのすべてが含まれているからです。しかしマザー・テレサは、自分が愛されることよりも愛する心を持ちたいと神様に祈ります。ここに修道者、求道者、さらに私たちお互いが目指すべき生き方が示されているように思えます。きわめて困難な道ですが、その先に私欲私心を超え、生死さえも超えた、真の心の平安があるとするなら、これもまたお互いの行き方の一つと言えるでしょう。もちろんこうした厳しい道を歩むのはきわめて困難です。心掛けとして持ちつつも、その通りに生きることは容易ではありません。

現実と向き合わねばならない事業家である松下幸之助は、人間の愚かさや弱さというものを十二分に理解していました。“貧すれば鈍す”という言葉をよく使っていたのもその証左です。そしてその弱さを認めつつ、お互いの衆知を集め、工夫を凝らし、努力、研鑽を積むことを呼びかけ続けました。特定の神様を信仰することがなかったこともあり、マザー・テレサのように神にお願いするというわけにもいきません。結局人間自身に責任と努力を求める。これは見方によっては、さらに厳しい生き方を要求していると言えるでしょう。

しかしこのように厳しいことばかりではとても私のような凡夫には耐えられません。

『あなたはそのままで愛されている』は、シスター・渡辺和子さんの著書名です。このメッセージはおそらくたいへん多くの人の心に刺さるのではないでしょうか。心優しく誠実で、何の後ろめたいこともない温かな素晴らしい人でないと、決して愛されないと私たちは考えがちです。顧みれば、私利私欲にとらわれ嘘をついたり不誠実な行動をとったり、さらにねたんだり恨んだりひがんだりと、常に自分自身でも嫌になるような自らの姿を、他ならない自分自身が常に目の当たりにしています。こうした自分が愛されるはずがないと思いがちなのも致し方ないと思います。しかし、それでも“神様は愛してくださる”と言うのですから驚きです。浄土真宗の親鸞さんの言葉にも「善人なおもて往生をとぐ,いはんや悪人をや」があります。阿弥陀仏の慈悲のもと、悪人も救われると訴えているのです。

このように考えれば、少しは心にゆとりと希望をもつことができるかもしれません。完璧である必要はありません。できる範囲で「慰めを求めるより慰めることを大切にしよう」「理解されようとするより理解するようにしよう」「愛されようとする前に愛するようにしよう」と心掛けながら、生きていくことが大切なのだと思います。

そうした日々の積み重ねを通じて、自分自身はもとより関り深い知人や友人、同僚らの幸せが実現する。自分にできることで良いと思います。少しずつ、地道にそうした心構えとともに、日々の暮らしの中でわずかでも実践できれば、私の生き方も多少誤らずに行けるのではないかと私は思っています。

経営理念研究本部 主席研究員 大江 弘

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