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他人の利益を図らずして、自ら栄えることができない。

アメリカの実業家 アンドリュー・カーネギー『富の福音』

 

私たちは、概ね自分の欲望、利益を中心に物事を考え、判断、行動しています。それは自分が生きていくためにはある程度欠かせないことです。他方、世の中には利他を信念とし、ときに自らの命まで投げ出す人もいます。たいへん尊い行いなのはもちろんですが、世の人々がみな私欲私心を捨て去り、修行僧のように生きるとしたら社会が立ち行きません。利益をとらない商売はすぐに行き詰まり、そこで働く社員の皆さんは生活の糧を失うことになるはずです。やはり自分も生き他も生きる道、自分だけでなく他者の利益にも配慮する。難しいことですが、そうした調和ある行き方が一番大切なのだと思います。

しかしこのバランスを取ることがきわめて難しい。というのも、ともすると人は、自分の損得利害ばかりを追求するようになりがちだからです。古来より数多くの聖人賢人がこうした人間の傾向に警鐘を鳴らし、利他の大切さを訴え続けてきました。それでも私たちは私利私欲にとらわれてしまいます。これは人間の性の一面なのかもしれません。

哲学者のトマス・ホッブズは、著書の中で利己的な生き方をする人ばかりの社会を想定しています。仮にお互いがそれぞれ自分の利益ばかり追求すればどうなるか。必ずぶつかり合うことになるはずです。そこで生まれる対立と争いの姿を、ホッブスは「万人の万人に対する闘争」と呼びました。一つの思考実験ですが、皆が皆、利己的な生き方を貫けば、社会は乱れ、人類の未来に希望を持てなくなってしまいます。

もちろんこうしたことは誰しも頭ではわかっていると思います。わかっていながら利己主義というか私欲私心にとらわれてしまう。何ともやるせない話です。

とはいえ、世と人の繁栄、平和、幸福を実現するためには、そう簡単に諦めるわけにはいきません。少しでもバランスの取れた生き方ができるように、お互いの行き方を変えていくことが求められます。

例えば、我と我がぶつかって争いあうような場合には、折り合いがつく点をお互いに求めることが大事になります。また人それぞれ、実に様々な考え方、意見を持っています。意見が対立しがちになるのはごく自然なことでしょう。そんな場合には、たとえ自分が正しいと思ったとしても(この場合相手も自分が正しいと思っている)、融和の道を探ることがお互いのためになるはずです。またその際に、自分が間違っていると気がついたなら改めるようにすれば、なお素晴らしいと言えます。思うように物事が成らないときには、そもそもその願いが適切なのかどうか、それを得るための方法に工夫が足りなくはないかなどを検討してみることも意味があることでしょう。自分自身の能力が不足していると悲嘆に暮れてしまう場合は、努力を重ねて自分の成長を図るとともに謙虚に他の協力を求めるのも良い方法です。こうしたことを、できるだけ実践していくだけでも利他と利己のバランスが取れるようになっていくように思えます。

松下幸之助は次のように述べています。「直接にせよ間接にせよ、世の中の人にまず与えていくことである、奉仕していくことである。すぐれた技術をもった人はその技術で、頭のいい人はその頭で、力のある人は力で、あたたかい思いやりの心をもった人はその心で、それぞれに与えていく、サービスしていく。そして、それに対して他から何かを受けたのであれば、それ以上のものをまた与え返していく。そういうことにお互いが協力をしていくことが、世の中の繁栄を生み出すことにもなり、結局それがまた、一人一人に返ってきて、お互いの幸せにもつながっていくのではないでしょうか」

“まず与えよ”、それがお互いの幸福とともに社会の繁栄を生むのではないかと言うのです。実際には自分が損するだけではないかと不安になり、躊躇してしまって実践できないかもしれません。しかしその際にこそ勇気をもって与えることを心掛ける。自分から笑顔で挨拶すれば、概ね相手も笑顔で挨拶を返してくれるのではないでしょうか。

利他の心、利己の心のどちらにも偏らず、相手が幸せなら自分も幸せ、さらに世の人みんなが幸せという調和ある歩み方を、できることから地道に実践していきたいものです。

  経営理念研究本部 主席研究員 大江 弘

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