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私は、敵を倒した者より、自分の欲望を克服した者の方を、より勇者と見る。

自らに勝つことこそ、最も難しい勝利だからだ。

 (古代ギリシャの哲学者 アリストテレス)

 

“禁煙しよう”と思い立つが、手元にまだ一箱あり、捨てるのはもったいないという理由で“禁煙は明日からにしよう”と考えてしまう。ところがその明日になると、今度は“いっぺんにやめるのは難しいから一日に吸う本数を減らすことから始めよう”と思い直し、とりあえず何箱か買い置きしてしまう。しかし、実際に一日に吸う本数を減らそうと試みても、つい何となく物足りなくていつも通りに吸ってしまう日が続く。そこで今度は禁煙用のタバコを使うことにするが、禁煙用のタバコでは我慢できず、“1本ぐらいはいいだろう”と自分で自分に言い訳し、禁煙とはいかない。さらに1本が2本になり、3本になりして元に戻ってしまう。何とも情けない話です。私自身の体験ですが、同じ人が多いのではないでしょうか。

もともとタバコには中毒性があるとはいえ、根本的には自分の欲求に自分が負けていることになります。また自分自身が納得しやすい都合のいい言い訳を次々と思いつくあたりは、人間の心の弱さと言えそうです。自分の心ほど自分を欺き、迷わすものはないかもしれません。

これはタバコに限りません。ダイエットも同じようなものです。ダイエットのために立派なトレーニング用器具を買ったはいいが、明日から、明日からと先延ばししているうちにほぼ使わないまま部屋の隅っこで埃をかぶることになり、ダイエットに失敗する人は少なくないと思います。また毎朝ランニングしようと決意したまではいいが、“昨夜の残業で疲れているから今朝はやめておこう”、“雨が降っているし体調を崩しては元も子もないからランニングは明日からにしよう”などと、うまい具合にしっかりとした理由を見つけランニングを避けてしまう。そのうちランニングをしようという決意さえ忘れていく。ありがちなことではないでしょうか。禁煙やダイエットという生きる上できわめて重要な健康にかかわることでさえ、自分の心に屈して目標を達成できない。いかに自分の欲求が自分の心をうまく操るか、驚くばかりです。

お金持ちになりたい、昇進したい、有名になりたいというような私欲私心の場合はなおさらです。人生において何が大切かわかっていたとしても、つまらないことにとらわれ、こだわってしまいます。

お釈迦様が説かれた毒矢の喩え話は有名です。

ある人が毒矢で射られました。みんなが集まり急いで医者を呼んできたにもかかわらず、医者が矢を抜こうとすると、その男は次のように叫びました。「この矢はどういう人が射たのか、どんな名で背は高いか低いか、町の人か村の人か。私はまずそれを知りたい。それがわかるまでこの矢を抜いてはならない」。これではその男の命は間違いなく失われてしまいます。

お釈迦様は、私たちもこの男のように、きわめて大事なことを疎かにし、どうでもいいことにとらわれているのではないかと諭されているように思えます。

お金は大事です。しかしお金を稼ぐことばかりに没頭し、人生の深さ、喜びを味わう生き方をしてこなかったとすれば、いざ死の門が目と鼻の先にあることに気づいても後の祭りです。“あの世にお金はもっていけない”などと言いますが、たとえ持っていけたとしてもそもそも使えるとは限りません。ときには“地獄の沙汰も金次第”と言われることもありますが、まさかお金で天国行きの切符が買えるとは思えませんし、お金を払えば地獄の針の山がマッサージ器に変わるとも思えません。

人に認められたい、ほめられたいというのは誰もが持つ人間の欲求だと思います。それが恐らく出世や名誉に対するこだわり、とらわれになってしまうのでしょう。媚びたりへつらったりするのも、そのとらわれから生まれる言動ではないかと思います。しかし、うまく世を渡って出世し、役員なり社長になったところで、真に人に認められているとは限りません。経営責任者、上司が、部下や社員から嫌われている、陰口をたたかれているというのはよくあることでしょう。

立身出世し、社長になっても、誠実、感謝、友愛等の心を置き忘れ、親不孝を重ねたり家族をないがしろにしたり、あるいは友人知人との約束を破るなどの言動をしていては、決して天与の命を生かすことにはならないように思えます。前述したように自分の心は巧みに自分を迷わせ、コントロールしますから、自覚しないままにそうしたことをしている場合は決して少なくないに違いありません。よくよく省みるべきです。

命を与えてくれた天に対する感謝を忘れ、さらに自らの人生の深みを充実させるために適切な努力をしてこなかったとすれば、これほどもったいないことはありません。

私たちは天より命を預かっています。その命でいかに充実した人生を送るかは、私たちに与えられた使命とも考えられます。お金も出世も大事ですが、それ以上に尊いこの天与の命を生ききる。またより善く生ききる。さらにいえば、自分も幸せ、他人も幸せというような活動に力を注ぐ。そうしたことができてこそ、自我にとらわれない人生になるように思います。

自分を縛り付けているのは私利私欲であり自分自身です。そのくびきから自由になり、先人の教えに耳を傾けつつ、より好ましい道をお互いに邁進していきたいものです。

  経営理念研究本部 主席研究員 大江 弘

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