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お互いに自分を知り、他を知る。

その間に共通のものを見て、そしてその共通の点から

生活を割り出していくところに、

人間の社会性の根本がある。

(仏教哲学者 鈴木大拙『鈴木大拙坐談集』)

 

ともすると私たちは、お互いの違いばかりに気をとられがちです。国、民族、文化、伝統といった生まれに関わるもの、貧富の差、能力の優劣、才能の有無等々人それぞれの特質に関わるもの、さらに運の強弱や運命の良し悪しといった天分に関わるものなど、私たちが“人と違っている”と考える視点は数限りなくあります。

そもそも十人十色、まったく同じ人など一人もいません。双子でさえ、どこか、何かが違います。その違いは違いとして適切に認めつつ、理解することがやはり大切でしょう。百花繚乱、さまざまな色の花があることで花の美しさが増すように、いろいろな人がいればこそ世界は豊かなのです。山口県出身の童謡詩人・金子みすゞは、「みんなちがって、みんないい」という詩を遺していますが、まさしくこの世界の真実を指摘していると私は思います。

しかし、過度にその違いを意識し、敵意につながるような感情を抱いたり言動をとるようになったのでは、決してよい結果を招きません。実際私たちは、これまで幾度となく好ましくない失敗をしてきているはずです。

例えば、戦争などはその最たるものでしょう。国が違う、民族が違う、宗教が違うといったことを殊更際立たせ、人々をあおって血で血を洗う争いを引き起こしてしまう。こんなことではお互いの繁栄、平和、幸福は決して生まれるはずがありません。違いを強調し、自分たちは正義で相手は悪という単純な対立関係を自分や仲間に信じ込ませる。当人は自分自身の正義に酔っているため冷静な判断ができません。それが取り返しのつかない戦争あるいは紛争、内乱を引き起こすことにつながるのです。近代では政治イデオロギーの違いが対立を生み、世界終末時計を一気に進めさせました。考え方の違い、ものの見方の違いが人の命を奪うということなど、あってはならないと私は思っています。ところが現実にはその違いが幾十万もの命を奪ってきたのです。愚かとしか言いようがありません。

もっと身近なことで言えば、「隣の芝生は青く見える」の喩えのように、他人と自分を見比べては優越感に浸ったり、卑屈になったりすることでしばしば人は苦しみ続けてきました。そこでは妬みや僻みが渦を巻いて人々を飲み込んでいきます。お互いが苦しむだけとわかっているのに、他と自分をひき比べて心を乱す。人間の未熟な一面と言えるでしょう。違いはあくまでお互いの個性、ともに認め合い、快く承認し合うことが大切だということを、決して忘れてはいけないと思います。

しかし、それよりもっと大事なのは、つい見逃し忘れがちなお互いの共通点を意識し、確認することです。そのほうがより建設的で好ましい結果を招くことは間違いありません。社会もさらに発展し、繁栄、平和、幸福の大きな力になるはずです。

国は違うかもしれません。しかし本来国境は人間が勝手に決めたもので、人間を分けることはできません。みな同じ人間です。民族は違うかもしれません。しかし昔からお隣に住み、同じ村や地域で助け合いながら暮らしてきた隣人だったのではないでしょうか。そこに争う理由はないように思います。貧富の違い、能力の差などもあるでしょう。しかし、みな等しくそれぞれの持ち場で社会の発展に尽力し合う仲間ではないでしようか。見下したり見下されたりするような関係ではないはずです。

根本的なところで言えば、人間はみな愛されたいと願っています。愛したいと願っています。子どもが大事です。両親、家族が大事です。友人や知人の健康と幸せを願っています。人間としての愛や思いやり、感謝の心をもっています。違う点よりも共通したところの方がどれほど多いかわかりません。違いよりも共通した点をしっかり意識し、仲間、同志としてともにこの世界を生き抜いていくという強い願い持つことが今こそ必要なのではないかと思います。

一度きりの人生を、違いばかりをとりあげて苦しんで生きるよりも、同じような心を持ちつつ、同じような悩みを抱えながら、必死に頑張っている仲間として、手を携えなが暮らしていく方がどれほど幸せでしょう。

「みんなちがって、みんないい」と同時に、「みんな同じだから、みんないい」という考え方をバランスよくもちつつ、お互いに笑顔で仲良く生きていきたいものです。

 全国PHP友の会顧問 大江 弘

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